ユナイテッド航空は2022年9月1日、成田/サイパン線に週3便で新規就航した。スカイマークがコロナ禍で2020年3月に運休して以降、直行便がない状況となっていたが、2年半ぶりに直行便が再開されたことで、サイパン、テニアン、ロタの3島からなる北マリアナ諸島の日本市場復活への期待が高まっている。かつてはJALのボーイング747「リゾッチャ」が飛び、日本から最も近い海外ビーチゾートとして人気を集めていた。日本人の海外旅行が復活に向かうなか、北マリアナ諸島の現状はどうなっているのか。3島を取材で巡って、探ってみた。
変わらない美しい自然、開放感が心地いいサイパン
サイパン旅行で誰もがまず訪れるのが「マニャガハ島」。サイパンの中心ガラパンの港からボートで15分ほどの沖に浮かぶマリンアクティビティ・アイランドで、パラセーリング、シュノーケリング、バナナボートなどが楽しめる。
現地ランドオペレーターのTasiツアーに聞くと、パンデミック中は閑散としていたが、最近になって来島者が増えているという。訪れたときは、現地の学生グループと直行便が飛んでいる韓国からの観光客で賑わっていた。
ただ、売店やロッカーなどの各施設はまだ閉まったままで、白浜のビーチには草が茂る場所も。コロナ禍の影響が伺える。Tasiツアーによると、マニャガハ島の管理は以前までは民間主導で行われていたが、現在は本格的な観光再開に向けて自治政府が整備に乗り出しているという。
そのなかでも、海の美しさは相変わらない。コロナ禍で人が途絶えたことで、その美しさが増しているようにも感じた。抜けるような青空とモクモクと立ち上がる白い雲、透明な青い海に眩しい白い砂浜。メディアにもたびたび登場したこのフォトジェニックな風景が、日本人観光客を再び惹きつけるのもそう遠くないだろう。
サイパンは、マリンアクティビティというイメージが強いが、豊かな自然は陸地にも広がる。その海辺のオフロードを四輪バギーで疾走するアクティビティにも参加してみた。草木を避けながらアクセルを踏み、ガイドの後を追う。ビーチと違う開放感だ。
休憩地点では、ナタでかち割ったココナッツを啜った。自然の甘みが口に広がる。飲み終わると、果肉を削ぎ落とし、醤油とワサビをつけて試食。「イカみたいでしょ」というガイドの問いかけに頷き、その食感を楽しみながら完食した。地産地消はどこでも贅沢な体験だ。
サイパンの象徴マニャガハ島を見下ろすサイパン島の「マリアナ・ライトハウス」にも行ってみた。ガラパンを登ったネイビーヒルに立つ、この白亜の灯台は1934年に建造された。先の大戦でかなりの被害を受けたが、米軍の監視塔および信号基地局として改修。1974年にはアメリカ国立史跡として登録され、1980年代にはレストランとして復元された。
船の航行を見守っていただけに、ここからの広角の眺望は見とれる美しさ。特にサンセットの絶景ポイントとして人気を集めている。黄金色の夕日が入道雲の隙間から海に落ちていくにつれて、空と海の色も刻々と変化していく。ノスタルジックな色が消え、暗闇があたりを包むと、レストランでのディナー時間だ。
観光は地域の持続可能性に欠かせない産業
ネイビーヒルの麓に広がるガラパンには、DFSなどショッピングスポットが集まる。しかし、訪れた時は観光客の姿はまばらで、シャッターを下ろしたままの店や建設が途中でストップしているホテルなどが目立つ。ここにもコロナ禍による観光客減少の影響が感じられる。
北マリアナ諸島自治連邦区のラルフ・トーレス知事は「観光は、北マリアナにとって、収入を増やす唯一の方法」と話し、北マリアナにおける観光の重要性を強調する。観光は地域コミュニティの持続可能性には欠かせない産業だ。
日本市場の復活に向けて、北マリアナ諸島の模索は続く。かつては、サイとパンダを組み合わせた「サイパンだ!」をイメージキャラクターとした観光促進プロモーションが行われていた時期もある。長年サイパンに在住し、日本人観光客が多く訪れていた時代を知るPDI総支配人の高橋克子さんは「今度は、サイパンだ!の子供たちがサイパンを訪れるストーリーもありでは」と話す。
マリアナ政府観光局では、ユナテッド航空の直行便就航に合わせて、「マリアナケーション超得キャンペーン」を始めた。その一環として、10月31日まで同便利用者全員にゴルフ2ラウンド、ダイビング2ダイブを無料で提供している。市場復活に向けては「まずはゴルフやダイビングなど、FIT(個人旅行)をターゲットとしていくのが現実的」(マリアナ政府観光局ジェネラル・マネージャーの一倉隆氏)との考えからだ。
ファーストタイマーにしろ、「サイパンだ!」を知る世代にしろ、まずは直行便を利用して北マリアナ諸島に旅行してもらうことが大切になる。成田から3時間半という距離のメリットは大きい。小型機でサイパンからテニアン島へは約10分、ロタ島へは約30分。アイランドホッピングに出かければ、北マリアナ諸島の魅力がさらに体験できるはずだ。
学びの島テニアン、戦時遺構が教えてくれるものとは
サイパン島とは目と鼻の先にあるテニアン島は、日本の歴史と切っても切れない島だ。太平洋戦争前から戦中にかけては日本の統治下にあり、日本軍の重要な拠点となった。その後、この島の戦略的価値に気づいた米軍が北部のチュル海岸から上陸。テニアンの戦いで日本軍に勝利したのち、この島の新たな統治者となり、日本が敗戦に向かう上で重要な役割を果たすことになる。
島北部には、その名残が残り、今なお当時の歴史的趨勢を物語っている。旧日本軍通信司令部、旧日本空軍行政機関司令部などが骨格だけを残し残存し、その姿は廃墟だが、それだけに余計に生々しい。現在も米軍が上陸に使った水陸両用戦車の残骸が草木に覆われながら残り、不発弾が残っている可能性があることから、「注意看板」が各所に立てられている。
その中でも北部のハイライトは米軍が整備したハゴイ空軍基地跡。エーブル、ベーカー、チャーリー、デルタの4本の滑走路があり、ここから連日B29爆撃が日本に向かって飛び立った。最終的には、ここから原爆を搭載した「エノラ・ゲイ」が広島に、「ボックスカー」が長崎に向かった。人類史が大きく転換した場所だ。77年経った現在は、静けさだけが漂う。
北部から一直線に伸びる「ブロードウェイ」を下り、中心街のサンホセを過ぎた先にある南端には、日本人戦没者の慰霊碑が並ぶ。ちなみに、テニアン島の形がマンハッタンに似ていたことから、米軍が通りの名前をそのまま当てはめた。ブロードウェイと並行して走る道は「8番街(8th Ave.)」だ。
南端には「おきなわの塔」「第四中隊慰霊碑」「日蓮宗慰霊碑」などが並び、その先には「スーサイドクリフ」が荒々しく佇む。米軍が迫る中、ここから多くの日本人が海に身を投げた。まさに玉砕。内陸で亡くなった人も多く、今でも遺骨収集が行われているという。
慰霊碑の先では海が美しく青く輝いてた。島は歴史に翻弄されたが、海は変わらない。テレビCMにも使われた南西部の「タガビーチ」、ダイナミックな自然の営みを見せてくれる北東部の「潮吹き海岸」。米軍が上陸したチュル海岸では「星の砂」が見つかることでも人気の場所だ。
「何もない」が大きな魅力、ロタ島
テニアン島とグアムの中間に位置するロタ島は、ダイビングのメッカとして知られている。「ロタブルー」と言われる海はダイバー憧れの場所だ。本格的なダイビングだけでなく、もちろんシュノーケリングでも十分にロタブルーを満喫することができる。
ボートをベースに海に飛び込み、海中を見渡すと、サンゴの周りをカラフルな魚たちが回遊していた。サンゴが住処になっているのか、出入りを繰り返している魚もいる。海に浮かぶ浮遊感も心地よく、あっという間に帰島の時間が来てしまう。
ロタ島で長年ダイビングショップ「Rota Scuba Center Rubin」を営む山本博さんは、「ロタの魅力は何もないところですね。あるのは美しい海だけ」と話す。島を訪れるのはダイバーがほとんどで、観光地化はされておらず、ローカルの生活にダイレクトに触れられる。
「ソンソン展望台」からは、小さな集落「ソンソン村」が見下ろせた。「ローカルのチャモロの人たちは、テレパシーでもあるように、今誰がどこにいるかわかるんです」と山本さん。それだけ、地域のつながりが深く、それぞれの生活パターンが分かっているということだろう。
テテトビーチに行ってみると、多くの地元の人たちがBBQを楽しんでいた。恐らく、みんな知り合いなのだろう。平和な日曜日の午後。もう少しここでゆっくりして、少しでも彼らに近づけたら。ロタ島は、そんな気分にさせてくれるところだ。
地域色が強い場所だからこそ、土着の伝説も息づいている。古代からチャモロの人たちに伝えられてきた「タオタオモナ」という神霊が、今でもロタ島では信じられているという。ガジュマルの木に宿り、今でも入ってはいけないとされているジャングルが島内に何ヶ所かあるらしい。「ジャングルに入って、実際に災難にあった人もいるようです」と山本さんは教えてくれた。この島にはまだシャーマンが存在するという。
ロタ島は小さな島で、ソンソン村から自然の岩礁穴「スイミングホール」までも車で15分ほどだ。島を周遊する途中、熱い日差しのなか、山本さんが一杯の水をくた。「ロタの水はすべて湧水なんです」。雨水が石灰岩によって濾過されているという。ペットボトルのミネラルウォーターとは明らかに違う、まろやかな味が口に広がった。
ロタ島は、観光資源は「何もないところ」かもしれないが、その風土は観光客にとっては新しく魅力的だ。
トラベルジャーナリスト 山田友樹