日本旅行業協会(JATA)は2023年6月、会員対象に「旅行業DXセミナー」を開催した。旅行業界は長期間のコロナ禍を経て、消費者の購買行動の変化に直面する一方、人材確保のために旅行業に従事する社員の働き方の変革も迫られるなど、DXが必須であるとの認識が広まりつつある。JATAによると、これまでに開催したマネジメントセミナーで最多の人数が会場やオンラインで参加。DXへの関心と課題意識の高さをうかがわせた。
デジタル化とDXの違いとは?
基調講演は「DXの本質~DXの捉え方と進め方~」と題してネットコマース代表の斎藤昌義氏がおこなった。斎藤氏はまず、アナログとデジタル、デジタル化とDX、デジタルとITのといった用語・概念の違いを整理。斎藤氏は、「みなさんもこれまでデジタル化やIT化に取り組んできたと思うが、DXとは何なのか。違いを理解しなければ、IT屋が作った胡散臭いバズワードではないかといった誤解が解消できない」と指摘した。
齊藤氏は、現実世界に起きる全ての事柄がアナログであると説明。このアナログ情報をコンピューターで利用できるようにデジタルに変換するプロセスがデジタル化であり、その変換技術をITあるいはICTと総称すると説いた。また、DXが重要視される前提として、デジタル技術の進化によりビジネスが大変革を起こしており、今後もチャットGPTにみられる生成AI技術の進化などが加速する社会状況を挙げ、「このようなデジタル前提の世界に適応し生き残っていくため、会社そのものを作り変えていく取り組みこそがDXの本質」と解説した。
中国で大成功した「平安保険」の取り組み
具体的な事例については、世界の企業番付「グローバルトップ50」にランクインし、時価総額でトヨタを上回る中国の保険会社「平安保険」を紹介。同社躍進のきっかけとなったのが病院探しのスマホアプリで、2017年にリリース後、2019年末には3億ダウンロードを超え、コロナ禍で利用者はさらに増加。保険会社としての業績を急成長させる原動力になった。
同アプリは、利用者がチャットで医者に気軽に健康相談でき、病院へ行くべきか否か、行くならどの診療科を受診すべきかといったアドバイスを受けられるのが特徴。クチコミ機能を使い評判の良い病院探しもできる点も人気を集め、医療格差の激しい中国で大ヒット。さらに、平安保険はアプリから得られる個人データを活用し、健康課題を抱える消費者に営業マンが積極的にアプローチすることで、保険商品のセールスにつなげ、大幅な業績向上を果たした。
平安保険の事例について斎藤氏は、「デジタルに任せる部分は徹底して任せる一方で、きめ細かい応対や悩み相談といった人間にしかできない仕事の価値も同時に高めた。その掛け算によって業績向上を実現し、状況をリアルタイムで把握し即時に対応可能な態勢をとり、情報を蓄積できるデジタルの強みも活かした」と評価。「個人情報の取り扱いや規制など、日本と環境が異なり、そのまま導入することはできない」としつつも、平安保険の成功はDXの本質をとらえた好例であるとした。また、「デジタルに任せる部分が増すほど、人間にしかできないことの価値が高まる。デジタル化と人間の役割を高めることがセットでなければうまくいかない」と、DXにおける人間の価値の受け止め方に注意を促した。
仮説・実践・検証を高速で回す思考法を
齊藤氏は、DXを実現する上でのスピード感についても言及した。デジタル化社会でUI(User Interface)とUX(User Experience)の重要性が高まっているが、UIは人とデジタルをつなぐ窓口として「すぐに分かり、使いやすい」ことが求められるのに対し、UXは人とデジタルがつながることで得られる体験として「便利さの実感や高い満足度」が求められる。「データにより顧客の反応を検証しUX向上のために商品を改良。これを、同じく改良を施したUIを通じて提供し、より高い満足を顧客にもたらすというサイクルを回していく必要がある」(斎藤氏)。
また、ビジネスの主役はモノからサービスへ移行しており、サービスを支えるソフトウェアの改良は、モノづくりよりはるかに早く改良が可能であることから、かつてないスピードで改良サイクルを回していく重要性を強調。斎藤氏は「常にUXを優れた状態に維持することがビジネスの絶対条件。だからこそ、クラウドやアジャイルといったキーワードが注目されている」と話した。
スピードの重要性に関して斎藤氏は、デジタル化が持つ2つの意味の違いも取り上げた。日本語ではひとくちにデジタル化と表現するが、英語ではデジタイゼーション(Digitization)とデジタライゼーション(Digitalization)の2つの表現があり、利便性や効率向上など事業プロセスの効率化を図るデジタル化がデジタイゼーションで、ビジネスを作り替えビジネスモデルの変革により新たな価値を創出するデジタル化をデジタライゼーションと呼ぶ。DXに近い概念はデジタライゼーションのほうだ。
この2つは進め方にも大きな違いがある。既存の仕組み改善が基本のデジタイゼーションを進めるには、課題を明確にしたうえで解決のためにデジタルを使う。一方、既存の仕組みの破壊により新たな価値を創出するデジタライゼーションは、正解もなく上手くいく保証もない中で取り組みを進めなければならない。試行を繰り返し、失敗を含めた試行の結果の中から一番良いやり方を見出していかねばならない。
斎藤氏は、「現代はVUCA、つまり予測困難であり、正解はなく変化が早い社会。自分たちで正解を作るしかないが、一方で変化に対応できる能力があれば競争優位に立てる。圧倒的なスピードで仮説・実践・検証を回すこと。つまり自分たちで考え仮説を立て、直ちに実践して結果を確認、結果から議論して仮説を更新する必要がある。すぐに行動しなければチャンスを逃す。たとえ失敗したとしてもすぐにやり直しができ大きな痛手を回避できる」と力説。仮説・実践・検証を高速で回す思考法を取り入れることこそがDXの本質に通じるとし、「権限を現場に委譲し、組織のあり方、意思決定の仕組み、予算配分、事業目標の立て方を見直し、会社を作り変えるための手段の一つがDXである」とまとめた。
人財を活かす旅行業DXについても解説
また、セミナーでは、日鉄ソリューションズの流通・サービスソリューション事業本部営業本部で営業第二部長を務める有村研治氏が具体的な取り組みとして、「人財の確保・育成・活用に向けた旅行業DX」について説明した。
有村氏は、旅行業界におけるDX推進の構図を4つに分類。第1がオンラインと接客(店舗&リモート)の融合(OMO)を実現するDX、第2が差別化した観光素材の確保のために旅の目的に応じた複数のベースプラン企画を実現するためのDX、第3がリピーター醸成のための会員ポイント制などにおけるDX、第4が旅行業で働く魅力を発信し優秀な人材の育成と確保につなげるDXであると整理した。
そのうえで、「顧客にとって最高の体験を提供するためにDXを進め、デジタル化できない分野での価値を含めて旅行会社ならではの価値提供を徹底的に追究。顧客のファン化を進め、業務スピード向上や業務省力化のためのデジタル化を促進し、働きやすい環境の整備による人材確保というサイクルを実現することが旅行業におけるDX推進のモデルのひとつである」と話した。