単一言語で長い歴史を経てきた日本。グローバル化が進む現代では、この言語バリアは大きな課題となっている。観光分野でも、訪日外国人旅行者が増えるなか、外国人とのコミュニケーションはビジネスの成長に直結してくる問題だ。
「自動翻訳はかなり進化してきたが、人間による通訳/翻訳が必要な場面はまだまだ多い」。そう話すのは多言語通訳/翻訳サービスを手がける株式会社ブリックスの吉川健一社長。同社はB2B2Cのビジネスモデルで外国人旅行者のニーズに応えている。そんな吉川氏に、通訳サービスから見えてくるおもてなしの「裏側」について聞いてきた。
緊急時の対応こそが“おもてなし”、医療現場や災害時は人の配慮が不可欠に
ブリックス社が抱える通訳者は、現在のところ約100名。英語、中国語などの主要言語から、タイ語、ベトナム語、タガログ語まで多言語で対応している。観光分野で利用される言語の割合は、通常期で英語が半分、中国語が2~3割だが、春節の時期になると中国語の割合が6割を超えるという。対応内容では、商品説明が40%、免税に関わることが15%、交通、支払い、観光案内が10%未満。このほか、医療が5%、災害が1%という割合だ。
医療や災害の割合は小さいが、むしろこの分野でブリックスは存在感を高めている。細心の配慮をもって言語バリアを取り除く必要があるためだ。吉川氏は実例を挙げてくれた。
【ケース1】 医療機関での治療法を誤解なく
台湾から沖縄にウェディングで訪れていたカップル。式場に向かう途中で交通事故に遭い、新婦は顔に傷を負ってしまった。ケガの場所が顔だけに、その治療法について誤解なく伝える必要が生じ、同社の通訳者がサポートした。
【ケース2】 救急救命士の最善の活動を丁寧に説明
韓国から日本に旅行にきた夫婦。海水浴中に夫が溺れて心肺停止に。救急救命士が1時間ほど心臓マッサージを続けたが蘇生しない。この状況に納得がいかない婦人はパニック状態。そこにブリックスの通訳が入り、救急救命士は最善を尽くしたことを丁寧に説明した。事後のトラブルを避けるためだ。
【ケース3】 老夫人が病中のクルーズ旅、家族の同意書が必要に
カナダ・バンクーバーから世界一周クルーズに参加の80代の老婦人。最初の寄港地名古屋で持病の脳梗塞を発症したためドクターストップがかかった。しかし、本人は「一生に一度の旅だから旅を続けたい」と決意は固い。
ここで通訳が入り、老婦人だけでなくバンクーバーの息子の同意書を取るためにサポートした。さらに、クルーズはすでに出航していたため、次の寄港地までの航空券の手配、またそこまでの付添人の手配でも通訳業務を請け負った。
「ここでの通訳のポイントは2 つ。ひとつは医者と老婦人の考え方のギャップを埋めること。二つ目は、医者の立場を担保すること」と吉川氏は話す。2つのポイントで老婦人を納得させるためには、単なる言葉の置き換えを超えた通訳が必要だったということが容易に想像できる。
こうした個別案件のほかにも、宿泊施設などの火災報知機が誤作動など、日常でも起こりうる緊急・イレギュラー時の外国人対応で人による通訳の役割が大きくなる。
吉川氏は「私たちが考える『おもてなし』とは、そうしたサポートの仕組みを持っていること」と話す。ホスピタリティーという「表」のおもてなしだけでなく、本当に困ったときに手助けする「裏」のおもてなしの重要性を指摘。「緊急時での対応は、日本という国のイメージを高め、それがクチコミで世界に広がる」と強調する。
ブリックス社では、外国人旅行者向けの緊急時対応システムの構築にも注力。東日本大震災時の経験をもとに、日本政府観光局(JNTO)とともに災害時に自動で緊急連絡センターが立ち上がる仕組みづくりにも参画している。
しかし、この分野では課題も多い。災害は多様で、御嶽山の噴火など想定できないケースもあるためだ。「地方自治体の協力で情報を集め、それを社内で蓄積していく取り組みを続けている」と吉川氏。こうした情報や知識の蓄積と豊富な経験が同社の大きな強みといえるだろう。
未来の通訳はAIと人間とのハイブリット、知識や情報を集積で新たなビジネスも
同社のビジネスモデルはB2B2C。地方自治体、百貨店、病院、テーマパークなど、さまざまな事業者と契約し、旅行者がサービスとして活用する流れだ。外国人への通訳サービスの提供について、吉川氏は「顧客満足度(CS)の領域の話。ブリックスとしても、そのCSで世界と勝負できるようにしていきたい」と意気込む。
通訳の業務は、往々にして通訳の範疇を超え、旅行者のサポートに関わる場合も出てくる。吉川氏も「なかなか線引するのは難しい」と語る。そこで、サポートすることによって得られる知識やノウハウを集め、それらを体系化することで新たなビジネスにすることも検討しているという。
緊急時だけでなく、免税制度などについても通訳することで集められる断片情報は多く、「それをまとめることで全国に広がる免税店の役に立てるのではないか」と期待している。
一方で、「旅館などで外国語ができなくても、どんどん外国人受け入れるような文化は育っていった方がいいと思う。商品や免税など『わかりやすい』対応は、自動翻訳などテクノロジーでカバーすることができるだろう」と吉川氏。その分野では、簡単な情報を自動翻訳する電子ディバイスのプラットフォーム構築も検討している。また、旅館や個人事業主向けに、自動翻訳機能に緊急時の連絡先を加えたアプリへの可能性も広がる。
600万語の宇宙言語を理解するスターウォーズのC-3POのような人工知能(AI)が将来生まれたとしても、緊急時の言語バリアを埋めることができるのは人間。吉川氏が想像する未来は、進化するAIによる自動翻訳とおもてなしの「裏側」を支える人間による通訳のハイブリッドだ。
聞き手:トラベルボイス編集部 山岡薫
記事:トラベルジャーナリスト 山田友樹