旅行者は旅行に出れば、モノであれ、体験であれ、消費への対価として支払い=決済を行う。その決済動向をデータで分析できれば、旅行者の属性や消費行動を可視化することもできる。見えてくるのが旅行市場の「今」だ。
国際決済ネットワーク「Mastercard(マスターカード)」は、マスターカード・ネットワーク内の匿名化された取引情報や各国の統計報告機関のデータを基に、さまざまな分析ツールによって、旅行市場のリアルな動きを明らかにしている。同社のアドバイザーズ クライアント サービス、日本&韓国地区 シニア プリンシパルのベノワ・ブバー氏に、その最新動向を聞いてみた。
マスターカードのデータから分かること
マスターカードは、世界2大国際決済ネットワーク企業の1社として、15年ほど前から多様なビジネス戦略を進めてきた。2020年2月に新たにCEOに就任したマイケル・ミーバック氏は「従来の決済サービスを超えたビジネスを積極展開する」と宣言。そのひとつが取引データを活用したビジネスだ。
ブバー氏は「匿名性を保った消費者の行動データを扱う。航空会社、ホテル、レストランなどでの支払いデータを統合して、旅行者動向を分析する。データ自体はどこにも出さない。分析したインサイトを提供する」と説明し、国際的な決済ネットワークだからこそ可能なビジネスと強調した。
旅行者の決済行為から取得するデータの分析からは、行動パターンや国別のペルソナが明らかになる。例えば、旅行者はどのように日本を周遊したか。あるいは、典型的な米国人旅行者は、どこでどのくらい消費したか。ブバー氏は「そうしたインサイトは、インバウンド誘致の戦略を立てる自治体やDMOにとって非常に有益な情報。ターゲットへの的確なアプローチが可能になる」と話す。
マスターカードは、先ごろ、世界のマクロ経済動向のインサイトを提供する「マスターカード・エコノミー・インスティチュート」も立ち上げた。これは、同社のデータと、世界銀行、世界通貨基金(IMF)など様々な経済指標を組み合わせたもの。例えば、世界の貯蓄がどのように使われているのか。インフレが消費にどのような影響を与えているのか。また、需給バランスによる航空運賃の変化などを可視化するという。
さらに、「テスト&ラーン(Test& Learn)」ソリューションでは、顧客分析のインサイトだけでなく、事業者の意思決定を支援するセルフサービス型の分析を提供している。例えば、宿泊施設が新しいパッケージ商品を販売する場合、このツールで事前にテストを行うことで、販売機会の喪失を防ぐのに役立つという。
コロナ禍を経て特定の目的を持つ旅行者が増加
では、そのマスターカードのデータ分析から、世界の、そして日本の旅行市場で何が見えてくるのだろうか。ブバー氏は、旅行消費の前提として「パンデミックの中、一般的に世界では貯蓄が増えた」と話す。
そのうえで、世界の旅行市場では、まず国境が開いた欧米間で人が動き始め、その旅行消費は全体の約8割占めていたというUNWTOのデータを示した。
ところが、昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻で状況が変化。「欧州を中心に消費者の消費意欲に圧力がかかったうえに、航空運賃の高止まりの影響もあり、LCCの関心が高まり、地域内旅行が活発になった」と明かす。
また、旅行者層については、国境再開後には、まずVFR(友人知人・親類訪問)の需要が高まり、滞在期間も以前の2倍ほどに伸び、航空運賃やホテル価格の上昇も相まって、旅行予算はコロナ前から20%〜25%高まったとという。
このほか、ブバー氏は「旅行者の行動も変わり、体験にお金をかける傾向が強まった」と分析。「コロナ禍を体験して、旅行者は特定の目的を持つようになり、バケーションではよりクオリティの高い体験を求めるようになっている」と続けた。
マスターカードのデータ分析では、コロナ前とは異なるペルソナの新しいカスタマージャーニーが明らかになっていることから、「そのインサイトを活用して、デジタルエンゲージメントを高め、パーソナライズサービスを提供することで、サービスを向上させていくことが必要だろう」との考えを示した。
日本の旅行市場のインサイトは
日本の旅行市場については、アウトバウンドは「時間がかかるかもしれない」との見解だ。
円安、インフレ、燃油サーチャージ、欧州への飛行時間の延長などの逆風に加えて、「日本人は衛生や安全性に非常に敏感。多くの国や地域で国境が開き出したが、どこが安全なデスティネーションなのかを検討している段階ではないのか」と話す。
日本は他国と比べて貯蓄率は高いが、今後の注目は「それが旅行を含めた消費に回るのか、あるいは生活防衛のための貯蓄に回るのか」だという。
一方、インバウンドについては「今後の見通しは明るい」。その理由のひとつは、言うまでもなく円安。また、インフレ率を見ても日本はまだ2%ほどで、例えば10%を超えるイギリスと比べるとかなり低い。
世界では、観光地としての日本の関心は高く、日本はプレミアムデスティネーションというイメージを持っている旅行者も多い。現在の経済状況はインバウンド市場については、かなりの追い風との分析するブバー氏は「円安によるお得感に加えて、日本のサービスの質の高さを体験すれば、日本旅行の満足度はさらに上がるのではないか」と今後を見通した。
確実に進む日本のキャッシュレス化
このほか、日本のキャッシュレス決済の現状についても聞いてみた。日本では、消費習慣、確立された貨幣システム、デジタル決済インフラの遅れなどから「他国よりも遅れている」が、一方で「確実に進んでもいる」と話す。
経済産業省も2018年4月に「キャッシュレスビジョン」を策定。そのなかで、2025年までのキャッシュレス決済比率40%の目標を掲げている。また、コロナ禍での非接触決済ニーズやデリバリーサービスの拡大によって、QRコードによる決済も増えてきた。
マスターカードでは、観光におけるキャッシュレス化の推進を支援。2022年1月には和歌山県と5年間の戦略的連携協定を締結した。ブバー氏は、「インバウンド旅行者は、日本のデジタル決済ソリューションを持っていない。体験型消費になると、金額も高くなるため、自治体にとって、クレジットカード会社との協業は有益だろう」と提携の意義を説明したうえで、同様の協定を他の自治体にも広げていきたい考えを示した。
マスターカードは、シンガポールでマスターカード1枚で全ての公共交通機関に乗車できる仕組みを導入。この他にも、ロンドン、シドニー、ニューヨーク、ミラノなど、250以上の各都市でコンタクトレス決済で簡単に交通機関を利用できる体験による様々なスマートシティの取り組みを進めているという。ブバー氏は「今後、日本の都市でも、キャッシュレスによるスマートシティの実現は可能」と意欲を示した。
この他、話題の後払い決済BNPL(Buy Now Pay Later)についても言及。「ユーザーにとっては便利なサービスだが、自己資金以上にお金を使ってしまう恐れがある。オペレーターは、消費者を困難な状況に追い込まないように気をつける必要がある」との見解だ。
マスターカードが最近実施した調査(Mastercard New Payment Index)によると、日本では57%の消費者がBNPLについて「少し知っている」と回答。「現在、安心して使っている」との回答は19%にとどまり、APACの平均50%を大きく下回っている。一方で、BNPLを使う場面として、日本の消費者の76%が「大口購入や緊急時の買い物に利用する可能性が高い」と回答し、その利便性に注目している側面も明らかになった。
海外でのBNPLの浸透度から、インバウンドでのニーズが高まる可能性もある。キャッシュレス化は、消費機会の喪失を避けるために、また旅行者の満足度を上げるためにも、日本がインバウンド対応として取り組むべき課題のひとつなのだろう。