2023年、フランスの世界遺産に新たな3件が登録され、その数は文化・自然遺産あわせて52となった。2024年3月、トゥールーズで開催されたフランス最大の旅行商談会「ランデヴー・アン・フランス2024」の取材から足を伸ばし、フランス最古のローマ都市として知られるニームを訪れた。新たな世界遺産のひとつ、古代ローマ時代の神殿「メゾン・カレ」を有する街だ。周辺のポン・デュ・ガール、ユゼスとあわせて歴史と伝統をめぐる旅の見どころを紹介する。
※冒頭写真:メゾン・ド・カレ。1世紀に建てられた神殿は「パクス・ロマーナ」時代の代表的な建築で、保存状態の良さはローマのパンテオンに次ぐといわれている
繊維産業の歴史とローマ時代の史跡が残るニーム
フランス南西部オクシタニー地方のニームの歴史は紀元前8世紀頃にさかのぼる。「ローマの平和」と呼ばれるパクス・ロマーナ時代を開いた皇帝アウグストゥスの治世には、古代ローマ帝国の主要都市として約6万人が住んでいたといわれる。
新たに世界遺産に登録された神殿「メゾン・ド・カレ」は、1世紀に建てられたパクス・ロマーナ時代の代表的な建築。保存状態の良さはローマのパンテオンに次ぐといわれている。ニームには、メゾン・ド・カレのほか、円形闘技場、ディアナの神殿、円形闘技場の隣に建つ古代ローマ博物館に展示されている貴族の邸宅のモザイク画など、ローマ帝国時代の史跡が良好な形で残っており、「フランスの小ローマ」と称されるのも頷ける。
ニームは、地中海やイタリアからリヨン、パリなどへ抜ける交通の要衝でもあったことから、近世では繊維産業が発展し、ジーンズの生地で知られる「デニム(de Nîmes)」発祥の地という顔も持つ。整備された歩きやすい街並み、日本のツアーでも利用される4つ星、5つ星のホテルやミシュラン星付きレストランなど旅の拠点となる施設も充実。古代ローマ博物館内のレストラン「La Table du 2」やルーフトップテラスなど、法人・団体旅行のMICEでも人気が高い。
メゾン・ド・カレが世界遺産に登録されたことについて、ニーム観光局局長のグザヴィエ・ラボーヌ氏は「この時を待ち望んでいた。ポン・デュ・ガールとの歴史的なつながりを軸とした旅行商品に強い説得力を持たせることができる。アヴィニョンやアルルといった周辺の世界遺産を有する町と連携をするなど、様々なアプローチを考えていきたい」と語る。
現在、年間を通じて訪れる観光客の約7割はパリなどフランス国内からの旅行者が主で、国際観光客は英国、スペイン、ドイツなど周辺ヨーロッパ諸国が大半だという。長距離では、北米地域が最も多く、今後は日本をはじめとした“世界遺産”に強い関心を持つ市場に対して、積極的にアプローチをしていきたい考えだ。
一度の旅で3都市を訪れる意義
ニームを軸とした旅を考える場合、近隣のポン・デュ・ガール、ユゼスとあわせた3地域は、一緒に見てこそ意義がある。
ポン・デュ・ガールは1985年に世界遺産に登録された紀元前1世紀の古代ローマ時代の水道橋。ローマ時代の水道橋跡はフランスやイタリアにも部分的に残ってはいるが、ポン・デュ・ガールのように釘などを使わず石の重みで2000年以上もその形態を維持している3層橋は例がない。このポン・デュ・ガールは北西の町ユゼス近郊の水源から50キロにわたり、いくつもの水道橋をつなぎ、ニームの住民約6万人の生活水を供給するために建てられた。
ユゼスの町から望む水源の森、圧倒的な景観で聳える巨大で壮大なポン・デュ・ガール、神殿や円形闘技場が建つニームからは、古代ローマ時代の人々の生活や知恵、建築技術などがリアリティをもって伝わってくる。ユゼスの町も、かわいらしい街並みが絵になり、違った街の個性を楽しむことができる。これらが車で1時間程度の圏内にまとまっているのも特筆すべき点だ。
「デニムの街」の復活へ、伝統受け継ぐ職人に出会う
もうひとつ、ニームで注目したいのがデニムにまつわる歴史と伝統産業の復活への取り組みだ。ニーム郷土博物館の一角には、ニームで生まれたデニム生地がアメリカにわたり、ジーンズメーカー「リーバイス」を生んだという興味深い歴史が展示されている。市内では、デニム産業を復活させようと取り組むギヨーム・サゴ氏の工房「ラトリエ・ド・ニーム」の見学も可能だ。
そもそもニームは16世紀以降、パリ、リヨンに次ぐフランス有数の繊維産業の街として栄え、17世紀には地元産のウールとシルクを使った「サージュ・ド・ニーム」と呼ばれる耐久性の高い生地が作られていた。これがデニム生地の大元とされている。しかし、 ニームの繊維産業従事者や職人はユグノー(プロテスタント)が多かったため、ルイ14世時代のユグノー弾圧で彼らは英国や新大陸などに亡命。ニームの繊維産業は途絶えてしまった。その後、アメリカに渡ったデニム生地がジーンズとして世界に広がるまでの歴史には諸説あるが、ニームから亡命した職人の子孫らが英国経由、あるいは新大陸で技術をつないだものといわれている。
ニーム近郊で生まれ、パリでデジタル系の仕事をしていたというサゴ氏は「デニムの歴史を知り、伝統産業を復活させることに強くひかれた。ニームの新たな歴史を作っていきたい」と考え帰郷を決意。2014年に「ラトリエ・ド・ニーム」を立ち上げ、紆余曲折を経て2台の織機を入手する。引退した織機職人との巡り合いを経て、自社工房で生地を織り上げ製品を販売するまでにこぎつけた。「多くの人に取り組みと製品を知ってほしい」と話す。サゴ氏の工房は、15名程度の観光客の見学も受け入れている。
ニームは街の玄関口である国鉄駅からまっすぐに歩道が伸び、徒歩10分弱で旧市街に着く。フランスの地方都市は駅から中心部が離れていることが多いため、こうした街は個人旅行者にとっては非常に旅がしやすい。荷物は別に運ぶ手配をして、散策を楽しみながらホテルへ向かうこともできるだろう。
オクシタニー地方が取り組む地方内の列車が乗り放題の「オクシタニー・レイルパス」を活用してめぐるのも一案だ。
取材協力:フランス観光開発機構、オクシタニー地方観光局、ガール県観光局、ニーム観光局、ポン・デュ・ガール、ユゼスの里ポン・デュ・ガール地域観光局
取材・記事 西尾知子