千葉千枝子の観光ビジネス解説(2)
メディカルツーリズムは、21世紀の国際観光に欠かせないキーワード
メディカルツーリズムとは、治療や手術、検診など医療を目的にした観光交流をさす。日本では2010年、民主党政権発足時の新成長戦略に「国際医療交流」として盛り込まれた。医療観光ないしは医療ツーリズムとも呼ばれる。
近年、アジア近隣諸国では、医療を国家の観光資源として捉え、医療を受けに来訪する国際医療患者(メディカルツーリスト)を、国策として積極的に取り込んでいる。査証取得や長期滞在、観光行動を伴うことから、一般のツーリスト(旅行者)に比べて観光消費額が高く、21世紀の国際観光(インバウンド)に欠かせないキーワードに位置付けられている。
高度な医療技術やホスピタリティ、ホテルのように豪華な病院施設と最新鋭の医療機器をもって世界の富裕層を対象にしているのが特徴で、医療ハブ(メディカル・ハブ)をめざす動きも他国には著しい。
▼メディカルツーリズムの歴史的変遷、
米国同時多発テロが競争激化の引き金に
米国では90年代半ばから、自国の高額な医療費や私費保険、待機時間に悩む人たちが、安価で待ち時間もなく医療設備が整う南米などへ、医療を目的に渡航する現象がおきていた。一方で中東産油国の富裕層らが、英米のインターナショナル・ホスピタル(国際病院)に向かう傾向もみえ始めた。医療観光の萌芽である。
しかし2001年米国多発テロの発生で、中東はじめイスラム圏から英米への入国審査が厳格化されたことから一転、彼らの多くは経済成長著しいアジアの大病院へと向かうようになったのである。とき同じくして中国をはじめとするアジアの成功者らが、自国にはない高度な医療技術やバリューフォーマネー(費用対効果)、病歴秘匿を求めて、近隣アジアの医療機関の門戸を叩くようになった。
アジアの国々では、優秀な良家の子女らが海外留学先で医師免許を取得するケースが少なくない。医療通訳をはじめ多言語対応が可能な医療コーディネイターが、国際医療患者と、これら有能な担当医を結びつけるなど、近年、人材も整い始めた。なかでもアジア太平洋地域で増大するムスリムに対応したハラル病院食が完備されるなど、医療の現場でも国際化が速いスピードで進んだ。
▼医療観光で先進のシンガポール、
猛追する他アジアの国々と医療ハブ
そうしたアジアの国々で、いち早く国際医療患者を受け入れ始めたのはシンガポールだ(アジア各国のJCI認証医療施設数と近年の伸び率は下部に図表で掲載)。
シンガポールでは、さかのぼること2000年、国策としてメディカルツーリズムの推進を始めた。国主導の5ヵ年計画は前倒しで達成がなされ、民間へと運営権も移行した。国内に世界有数のバイオポリスを設け、医薬品等の研究機関を世界から集めるなど、世界有数の医療ハブの地位を築いた。
タイでは2002年から国策として、国際医療患者の誘致を開始した。ヘルス&ウェルネスツーリズムという広義のもと、タイ伝来の古式マッサージやスパなどリラクゼーションも国際医療患者とみなして、誘致に注力した。半数以上が中東系で、次いで欧州からの来訪が多い。欧州系の医療コーディネイト専門会社が、仲介役を担う。
増大するアジアの医療観光マーケットに、追随して参入したのが韓国だ。2009年に医療法を改正して、医療査証を創設。美容大国、漢(韓)方を併用した独自の治療法などを、前面に押し出す。特別自治道の済州島を東アジアの医療ハブにしようという済州島ヘルスケア・アイランド構想に、多額の国費を投じた。
ほかにもインドやマレーシア、フィリピン、台湾などでも医療観光への関心が高まり、諸整備が進められてきた。競争は激化する一方だ。
ちなみに我が国日本では、2011年に医療滞在査証の導入も始めた。一部の自治体では、PET検診などのメニューを盛り込んだ医療観光視察団を海外から招聘するなどして、誘致活動が行われている。
▼観光立国にはずせない医療観光、
2014年は国内でJCI認証ラッシュに
アジアの医療観光でもっとも重視されてきたのが、国際医療機関評価機構JCI (Joint Commission International)認証である。JCIとは、米国に本拠を置く医療機関の格付け機構で、世界各国の大病院が競うように認証を取得してきた。
日本では、これまであまり積極的ではなかった。先んじたのは、2009年認証の亀田総合病院(千葉・鴨川)である。そして、政策決定後は、国内の医療機関で取得の動きが活発化した(図表参照)。今年は、さらなる取得増加が予想される。
なお、日本で二番目に認証を受けたNTT東日本関東病院(東京・品川 2011年認証)では、ホームページに「近隣アジア諸国で認証病院が増加のなか、日本の医療水準が低く、国際基準を満たす病院がないとの誤解を世界から受けかねない(一部省略)」とする受審理由を掲載した。
先述した我が国新設の医療滞在査証は、高度医療から人間ドックに至る各種医療サービスで来日する国際医療患者とその家族・付添人を対象に、長期の滞在、事後の通院などにも応じる数次査証である。ただし日本医師会は、地域の医療格差が拡大、国民皆保険が脅かされるなどの理由から、「営利企業が関与する組織的な医療ツーリズムには反対である」との立場をとって声明を発表した。
東京五輪の開催が決定し、諸外国からの来訪が増えると予想される今、日本のメディカルツーリズムは、せめぎあいが続くものと考えられる。
▼医療コーディネイトに動くエージェント、専門性の高い人材の育成がカギ
列強アジアの国際病院では、もっぱら自由診療方式を導入しており、病院を軒先に医師が、主にビジネスとして医療活動にあたる。日本の医療体制やホスピスの精神とは隔絶の感があり、国内では医療観光について慎重な議論が交わされてしかるべきである。
しかしその一方で、アジアを中心にグローバルな人の動きが加速するなか、世界標準で正当な第三者機関から認証を受けることには意義がある。症状に緊急性を伴う訪日外国人にとって、病院選びの指標にもなるからだ。
日本で医療観光を定着させるには、病院と国際医療患者をつなぐコーディネイト役が重要で、具体的には医療通訳や空港エスコート、カウンセリングなどが担える人材の確保・育成こそが今後の大きな課題といえる。総合旅行会社大手のジェイティービーでは、医療コーディネイト専門の「ジャパン・メディカル&ヘルスツーリズムセンター」を開設して、送患業務などを開始した。とはいえ日本の医療観光は、まだ出帆したばかりにある。
アジア他国の医療観光に先んじた国々では、欧州など重点誘客先から医療観光人材を招聘するなどしている。国際医療観光は、医療技術や医師・病院といった小さな単位の競いを超え、専門性の高いつなぎ役人材の力量にもかかっていることをうかがわせる。
また、療養船といった洋上での医療観光を模索する動きもある。リハビリテーション等で滞在が長期化することを見越して、滞在型施設を併設させる国際病院がアジア他国には珍しくない。今後も日本の模索は続くであろう。