「観光はその土地の魅力。世代を超えて受け継いだ大切なものを先人にならい、未来への責任としてつなげていく。きちんとした街づくり、人づくり。それがなければ、だんだん道筋を失って違う方へと行ってしまう」。そう話すのは、京都の名門旅館「柊家(ひいらぎや)」の取締役であり、女将の西村明美氏だ。
創業200余年の同館を営む家に生まれ、先代(両親)や先々代(祖父母)の想いに触れながら育ち、6代目の女将として過去にない変化の早い時代に老舗旅館を切り盛りする西村氏が見つめる京都の街と観光、課題とは?西村氏に話を聞いてきた。
京都の姿、旅館の役割
京都の老舗旅館のなかでも、“御三家”のひとつに数えられ、皇族や政府要人、文化人など数々の著名人をもてなしてきた柊家。外国人旅行者の受け入れでも長い歴史を持ち、大正時代には東京に事務所を設置、英語のリーフレットを制作してきた。宿泊客の中で外国人が占める割合は1990年代には15~20%、コロナ直前には半数を超えるようになった。銀幕のスターから稀代の経営者まで、海外のVIPにも長年愛されてきた旅館だ。
賓客を迎える姿勢では「最終的にお客様の気持ちを察するのは言葉ではなく、しぐさや表情で判断する」と西村氏。こうした柊家でのおもてなしは、文化が異なる海外でも「人と人との温もり」「気遣い」として受け止められ、メディアにも紹介された。宿泊客からも、「街中で知り合った日本人に観光案内してもらい、とても楽しかったけれど、英語は全く話せない人だった」という話を聞くことも少なくない。「お客様が求めているのは、完璧な英語でのサービスではなく、人との触れあい。その土地の言葉の響きや国民性に触れることも楽しんでいただいていると感じる」と話す。
そんな柊家を切り盛りする西村氏が、大切にしていること。それは、“京都にいること”によって、五感で感じられる心安らぐ空間を作ること。「例えば日本の生け花は、一輪一輪の取りあわせで全体的な空間を作る。ひとつを大切にすることは、もう一方も大切にするということ。それがつながって大きな空間になっていく。日本人は間合いを大切にしていて、これが自然観にもつながっていると思う」と西村氏は話す。
そして滞在時間の長い宿泊業、特に旅館は「その都市性を宿泊客に味わっていただく」場であると強く意識しているという。
京都の都市性とは具体的にどういうことか?西村氏は京都市発行の「旅館サービス讀本」を用いて説明した。
同書は、京都市における旅館サービスの向上を目的に、その内容や方法、意義などを解説したもの。この中で真っ先に言及していることが、京都の「特異性」だ。1700年も皇都であった京都には歴史的、精神的、文化的、美術的、そして天恵的な要素が備わっており、それが、国内随一の精神都市、文化都市、世界的な観光都市といわれる理由であると説明している。そして、最前線で長い時間、観光客に接するホテル・旅館は、この京都の都市性を十分に認識し、市民の代行者であるとの意識を持ってサービス提供をするよう説いている。
こうした京都が備える特異な都市性は、地域の人々が大切に受け継いできたもの。それが守られている京都の街が魅力的だから、観光客が訪れる。「京都は武家の思想ではなく、人が長く豊かに暮らせるようにという都市づくりが基盤にあり、そこに年月が重なって今の姿になっている」と西村氏。寺社仏閣、文化、芸術があり、三方を山に囲まれ、空が広い京都の景色に、「この景色を見るとほっとする」という宿泊客も多い。
この「旅館サービス讀本」の発行年は、昭和13年(1938年)。80年以上も前に書かれたサービス向上の指南が今の時代にも響くのは、それが本質だからだろう。
では、現在の京都はどうか? 西村氏は、昔から受け継いできたものが「だんだん切り離されている」と表情を曇らせる。
何が起きているのか?
近年、京都では観光事業者間の連携が薄れてきているという。例えば、後継者育成での連携。以前は家業の跡継ぎを育てる際、切磋琢磨の意味も込めて競合他店に修行に出て、一人前になることで恩を他店に返し、それを繰り返すことで、相互に代を守ってきた。しかし、「後継が難しくなったことで、だんだんと変わって来てしまった」と西村氏は話す。
一方で、観光ブームを追い風に、外部からの事業参入は活発だ。京都では、近江商人の「三方よし」や京都出身の商人・石田梅岩の「商人道」の教えがあり、商売は利潤をもって世間、人に貢献するという考えが基盤にある。京都に敬意を払う事業者もあるが、次の世代へ、10年、100年と地域に貢献して観光客を迎え入れようという覚悟で参入する企業がどれくらいあるか。
「京都の魅力はこれまで、先人の知恵を生かし、先人の未来を見据えた世代にバトンタッチして守られてきた。しかし、いまは未来に対して道筋がしっかり作られていないまま、経済ばかり追いかけている」(西村氏)。
さらに、西村氏は「日本では残念なことに、町家などの古いもの、文化を維持するためには、個人の負担でしか守り切れない」と、個人が支えきれずに消えゆく文化が多いことも指摘。それらは町家として再生されるのではなく、投資目的のホテルやマンションに代わってしまう。
西村氏は「京都は革新の伝統といわれるが、先人の知恵や思いを熟成しながら新しいものを加え、今に続いている。次の未来への責任として、街づくり、人づくりが大切だと思う」と投げかける。
観光は地域を育て、作ること
今や、京都は世界を代表する観光目的地のひとつとなり、コロナ前には「オーバーツーリズム」の課題も顕在化した。
西村氏が目を向けるのは、バルセロナやベネチアなど、オーバーツーリズムの問題がいち早く顕在化した欧州各都市の対応だ。「規律と自由が制度の中で考えられ、町の美しさと文化の誇りを守っている。地域が大切にするものの共通認識があるから、対応が早かった」と西村氏。
対して日本は現在、国をあげて生産性・収益性の向上を重視し、全国的に富裕層誘致や高付加価値化への施策に力を入れている。西村氏は「もう少し大きい視点で、10年先、20年先の京都の町がどうなっているのか、考えてほしい。国は一律ではなく、それぞれの都市に必要な措置や制度を検討してほしい」と訴える。
西村氏は教育の重要性も指摘する。戦後、日本人の価値観が大きく変わっていったなか、いま一度、小学校などの児童期に自分の住む地域の魅力や課題、日本文化を知る機会を設けることを提案する。
柊家の近所には、日本初の「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)」に指定された御所南小学校がある。学校と保護者と地域住民が学校運営をおこなう学校で、地域学習では、地域の店を訪問してモノづくりや町の歴史などを教える。子供の教育が、地域の連携を深める機会にもなっている。「自分たちの住む地域を知り、育つ環境を作ることが、観光にもつながっていく」(西村氏)。
そして、「私も、お客様からの指摘で初めて気づくこともある。だから地域は受け継ぎ、守りながらも、時には客観視をする必要がある」と話す。
世界中からの足が止まったコロナ禍には、今まで柊家に宿泊利用が少なかった京都市民や関西圏からの身近な宿泊客が増えた。京都市民からは「京都にもこんな空間があるのだ」という発見をしたと喜ばれ、それは西村氏にとっても刺激になった。また、市内の嵐山や東山の旅館とのセットプランなど、滞在の工夫で新しい京都の楽しみ方の提案も始めた。
西村氏は、今後、コロナで減っていた事業者間の会合も増やし、世代を超えて京都の観光を考えていきたいと話す。同業者、異業種もそれぞれに地域や観光に対する想いがある。その意見を出しあい、切磋琢磨して価値観を共有する。「観光のためだけではなく、子孫のために土地の魅力、人間の価値を上げて、暮らしと精神性を豊かにする都市づくりをする。観光では、京都は魅力ある都市だから来ていただけるということを、つき詰めることが大切。それを次の世代にバトンタッチすることが、私の役割だと思っている」。
一方、柊家では一昨年、代表取締役社長に西村氏の長女が就任した。今年は柊家として、ホームページやSNSなど、情報発信を強化していく方針だ。「デジタルでの発信は、若い世代に任せてどんどん出してもらうけれど、方向性を一緒に作り上げなければ、独り歩きしてしまう。その辺をつなぐ役割もしっかり果たしていきたい」。柊家としても、200年の歴史を次の時代へつないでいく準備が始まっている。
聞き手:トラベルボイス編集長 山岡薫
記事:トラベルボイス編集部 山田紀子