1964年の渡航自由化で始まった日本の海外旅行の歴史。次に訪れた大きな変革は、1970年のボーイングB747型機の就航だ。従来の機材の3倍近い(約350~450席)の座席を収容する飛行機の登場が、日本の海外旅行市場の礎になっていることは、旅行業界の誰もが認識しているところ。今回は改めて、ジャンボ機の愛称で親しまれたB747が旅行者、そして旅行業界に与えた影響を、日本旅行業協会(JATA)が発表した資料を中心に振り返ってみる(画像はJALサイトからキャプチャー)。
▼ジャンボ機登場で海外旅行は第1次ブームに
旅行者はジャンボ機のスケールに圧倒、写真撮影に夢中
ジャンボ機の登場で高額な旅行代金が大幅に引き下げられ、特別なものだった海外旅行の門戸が少しずつ広げられていった。海外旅行者数はジャンボ機の就航を挟み、1969年~1973年の4年間で4倍以上となる223万人に拡大ーー。まさに海外旅行の第1次ブームと言っても過言ではないが、そのブームの海外旅行客を魅了したものの1つが、ジャンボ機そのもの。そのスケールの大きさは旅客を圧倒し、機内で写真を撮り歩き、収拾がつかなくなることも珍しくなかったという。
当時の添乗員は、「搭乗後、機内の写真を撮りまくってなかなか着席していただけず、機内はごった返していた。シートベルトを外してもいいというサインが出ると、またもや『機内探検』が始まる」と振り返っている。見る物すべてが新鮮だった当時の抑えられない興奮が伝わってくるようだ。
初期の日本人の旅行マナーといえば、以下のようなエピソードも聞かれた。「洋式トイレの使い方が分からず、便器の上に乗って使用」、「バスタブの外で体を洗い、水漏れしてクレームに」、「航空機(フォークやナイフ)やホテル(ガウンや灰皿)の備品を記念品として持って帰ってしまう」、「皿を持ち上げて口に付けて食べる」。(エヌオーイー代表取締役会長林田建夫氏の資料:2月26日JATA経営フォーラム分科会A)
驚きのエピソードだが、世界的に見れば今もときどき耳にするような例もある。今では世界の観光関係者の間でマナー面の評価が高い日本人だが、それは50年の歴史の中、日本人の経済・文化レベルの向上と海外旅行経験の蓄積で、今のような姿になったといえるだろう。
▼団体割引「バルグ運賃」の導入で海外旅行が身近に
ホールセラーの登場、ツアー代金は7割近い値引きも
ジャンボ機がもたらした最たるものは、団体割引の「バルグ運賃」の導入だ。JTB相談役、松橋功氏(日本旅行業協会(JATA)元 会長)は「1970年代前半における海外旅行市場の急成長にとって、バルク運賃が果たした役割は測り知れない」と、当時を振り返っている。
バルグ運賃が誕生したのは、ジャンボ就航前年の1969年。最低40人単位でパッケージされた旅行が対象で、その価格は個人普通運賃の60%という大幅な割引が設定された。これにより、60万円台だったヨーロッパ商品が30万円台に、30万円台だったハワイ商品は最大7割近い値下げも行なわれたという。
旅行商品の低廉化で、市場も一気に拡大。海外旅行者数は1969年の49万2880人から1970年には34.6%増の66万3467人に増加。1972年には前年比44.8%増の139万2045人と100万人の大台を超え、その翌年の1973年には64.4%増の228万8966人と200万人台を超える伸びを見せた。
バルグ運賃の導入で、旅行会社の業態も変化した。旅行会社は代理店販売手数料を伴わない買い取り制の運賃をベースに、旅行会社がホテルや交通機関、観光などを組み込んだパッケージツアーの造成・販売を開始。従来の航空券代理販売業のみならず、造成した商品をリテーラーに卸し、大量販売するホールセラーとしての機能を担うようになった。旅行会社数も1965年の65社から1973年には188社と3倍近くに増加。旅行業界全体で市場開拓に取り組み、拡大してきたことが表れている。
情報提供:日本旅行業協会(JATA)
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