長年にわたって人の手によって大切に保全・管理されてきた「里山・里海」が国際連合食糧農業機関(FAO)によって世界農業遺産に認定されている石川県能登地域。その観光の玄関口となるのが穏やかな七尾湾に面した七尾市。全国有数の温泉街「和倉温泉」がある町だ。その七尾市の北部にある中島町では、観光から交流人口、関係人口、そして移住・定住に向けた取り組みが進められている。移住者や地元出身者が、地域コミュニティとともに作る新しい人の流れは、コロナ禍を経て、少しずつ形になりつつある。
コロナ禍で変わる移住希望者の層
「コロナによって、移住を希望する人たちの層が明らかに変わりました。」
そう話すのは、七尾市中島町で移住・定住コンシェルジュとしてさまざまな支援に当たっている白畑直樹さんだ。白畑さんは、地域おこし協力隊として七尾市に移住。現在は、中島地域づくり協議会からの委託を受けて、同協議会に移住・定住サポートデスクを置いている。
白畑さんは「以前は、田舎でスローライフを送りたいというリタイヤ、あるいはセミリタイヤ組が多かったですが、コロナを経て、仕事がクリアできれば、都会にいる必要がないと考える若い人たちが増えています」と明かす。2021年には4組9人が中島町に移住。ほとんどが30代あるいは40代の家族で、一人で移住を決めた人もいるという。
そんな話を聞いている、まさにその時も、白畑さんの携帯電話が鳴り、一組の移住が決まった。電話の主は、30代前半の夫婦。仕事はテレワークで可能なことから今年5月からの移住を決めたという。
白畑さんは、中島地域づくり協議会との協力で、七尾市の「ゆめ基金」を活用するとともに、クラウドファンディングで資金を調達し、移住体験住宅として「WAKUBATAYA(枠旗屋)」を昨年11月にオープンした。カフェや現地体験プログラムの受付機能も備える。「当初は、移住者など他所者が集まるコミュニティスペースのつもりでしたが、地元の人たちも集まるようになって、新しいコミュニケーションが生まれています」と話す。
将来のカフェ開業を夢見て移住
WAKUBATAYAがユニークなところは、飲食店の開業を目指す人が期間限定で試せる「チャレンジショップ」という仕組みを設けているところだ。お試し期間は6ヶ月から1年。その後の開業については特に決まりは設けていないが、白畑さんは「空き家の情報や所有者との交渉など、お手伝いすることはできます」と、将来の中島町での開業に向けて、継続的な支援を行っていく考えを示す。
そのチャレンジショップの第一号となったのが、東京都足立区から移住してきた日下部果澄さんだ。今年2月から働き始めた。「東京で会社員として働いていましたが、昔から自分でカフェをやりたいという夢がありました。一方で、人が多い東京から出たいという思いもありました」と移住の理由を話す。
チャレンジショップについては、登録していた移住者募集サイトで見つけた。七尾市についての基礎知識はなく、縁もゆかりもない土地だったが、「これだ」と申し込んだという。
将来的には、まだ東京で仕事を続けているパートナーと一緒にカフェを開業する夢を描くが、当分は一人。不安はあったが、「地元のお母さんたちが本当にいい人たちばかり」と日下部さん。オープン初日に、何も頼んでもいないのに、お母さんたちがエプロン姿で手伝いに来てくれたことに驚いたという。「東京ではあり得ないことですよね。続けていこうと思えたのは、地元の人の温かさが大きいです」と明かす。
日下部さんは、チャレンジ期間終了後は、中島町の人たちが来られる距離の範囲で自分のカフェを開きたいと思っている。
古民家ホテル改修や体験プログラムで関係人口創出を
七尾市中島町では、移住・定住の前段として、関係人口の創出にも力を入れている。その足がかりになる拠点として、中島地域づくり協議会は、地域創生事業会社「さとゆめ」と協業し、古民家改修ホテルプロジェクト事業を進めている。
現在、候補の古民家2ヶ所を選定。ひとつは能登島を臨む七尾湾に面した場所に立つ古民家を「里海」体験の拠点として、8名定員で1棟貸しの「海の家(仮)」を整備する。また、中島町の中心から奥まった里山にある古民家では、宿泊施設とともに「田園レストラン(仮)」として地産地消の食も体験できる拠点に改修するプロジェクトを進めている。
中島地域づくり協議会とさとゆめは、2022年度に運営法人を設立し、近年中に里山里海の景観を活かした客室やレストランを整備していく予定だ。
人口5000人の中島町では現在、約300ヶ所の空き家があり、「全国他の地域と同様に、その空き家の利活用が大きな課題になっている」(白畑さん)。その課題解決を考える中で、山梨県小菅村で古民家を再生して「NIPPONIA小菅源流の村」を開業した、さとゆめの協力を切望したという。
さとゆめとしては、能登の里山里海をキラーコンテンツとして、奥能登の玄関口である中島町で観光客の誘致から関係人口の創出につなげていき、長期的に奥能登の地域的価値を向上させていきたい考えだ。
一方、関係人口への入口として、白畑さんは地域体験プログラムの造成にも力を入れている。現在、七尾湾で養殖されている「能登牡蠣」を丸ごと体験するプログラムを開発し、販売している。七尾湾は、周辺の豊かな山林から栄養分を含んだ川の水が流れ込み、牡蠣の餌となるプランクトンが豊富。肉厚で甘みの強い能登牡蠣は、里山里海の恵の象徴的な産物だ。
体験では、「水上水産」の協力で、漁船に乗り込み、養殖棚で収穫を見学しながら、能登牡蠣の特性について学ぶ。牡蠣小屋でむき作業を見学した後は、能登牡蠣のフルコースランチ。缶の中で蒸し上げる名物「ガンガン焼き」も楽しめる。現在、この体験は国内OTAと能登DMCで販売されている。
このほか、近々には、能登鉄道とサイクリングを組み合わせた体験も開始予定。往路は能登鉄道に自転車を持ち込み、能登鉄道沿線の車窓を楽しみ、復路はサイクリングで里山を巡りながら帰ってくるというものだ。さらに、今夏には里山を一望する畑で有機野菜の摘み取り体験も展開する予定だという。
白畑さんは「さとゆめさんとのプロジェクトが進めば、体験プログラムでも新たな展開が見えてくるのでは」と今後を見据える。
受け継がれる地域活性化の思いと活動
白畑さんの前職は、長野県のリゾートホテル。リゾート内で完結する観光業ではなく、もっと地域に寄り添った観光業がしたいと、2020年3月に退職し、現在の仕事に飛び込んだ。
それから約2年。「能登の里山里海など素材は豊富ですが、能登全体のブランディングはまだまだだと感じています」と外の視点から能登の観光を見ている。能登観光は金沢からの周遊コースが多いが、七尾市の「和倉温泉」までで、その先の輪島や珠洲などの奥能登にはなかなか旅行者の足が伸びないという。
白畑さんは「ピンポイントではなくて、世界農業遺産として能登全体のプロモーションをやっていきたい」と意欲を示す。
その中で課題と感じているのが、地域の危機感の薄さだという。空き家にしろ、少子高齢化による人口減少にしろ、能登だけの課題ではないが、「まだ普通に生活できているがゆえに、なかなか先に目が向かない」(白畑さん)。地域の除草作業でも、毎年参加者が減り、それによって作業時間も長くなっているが、それでも除草ができないわけではない。
「変えていくためには、それなりにパワーが必要になります。リーダーシップも必要になります。これは、全国共通の課題ではないでしょうか」。
それでも、希望はある。若いパワーだ。七尾市中島町出身で大阪大学在学中の谷一浩平さんは、2回生で休学して、地元に戻り、白畑さんの活動に参加した。「将来、地元を明るく懐かしめるように、今を作っていきたい」と谷一さん。浪人時代に、七尾駅前にあった商業施設が撤退した時に危機感を覚えて、「地元で何かできることはないか」と考え始めたという。
2021年5月には、能登地域在住者や出身者の高校生、大学生、社会人など24人とオンラインコミュニティ「NOTORN (ノターン)」を立ち上げた。「コロナ禍でも若者がアクセスしやすいオンラインのコミュニティを作って、関係人口を作っていきたいと思って始めました」と話す。YouTubeで地元のお祭りを配信したほか、Zoomでの交流会なども実施。若者視点で能登の未来について考える場を設けている。
「能登は半島で旅行では周遊しやすい場所ですし、地域によって特色もありますが、能登としてのコンセプトメーキングがまだまだだと感じています。圧倒的にマーケティング力が足りていないような気がします」。
谷一さんは、大学卒業後、東京で地域創生に関わる仕事で修行した後、また中島町に戻って、地元を活性化させたいというビジョンを持っている。「Uターンだけでなく、Iターンの人たちも巻き込みながら、新しい地元ならではの価値を創っていきたい。その中で、観光が果たす役割は大きいと思います」と未来を見据える。
俳優の仲代達矢さんは1983年、知り合いを訪ねて中島町を訪れ、「こんな美しいところで、無名塾の合宿ができたら」とふとつぶやいた。その一言がきっかけで、1985年に無名塾の合宿がスタートし、その10年後には演劇専用ホール「能登演劇堂」が誕生した。毎年秋の無名塾公演をはじめ多彩な演目が上演され、全国から演劇ファンが集まるだけでなく、仲代さんや劇団員と町民との交流も続いているという。中島町には、すでに関係人口の雛形がある。
トラベルジャーナリスト 山田友樹