訪日旅行はコロナ禍の2年半に及ぶ休止から一転、本格的な再開が始まった。インバウンドの受け入れで、外国人旅行者が日本滞在中に必要な言語の支援は、観光案内だけではない。万が一の緊急対応・危機対応も目を向け、備えることが望ましい。
2022年9月20日に開催した「トラベルボイスLIVE」では、通訳翻訳サービスの大手BRICK’s(ブリックス)代表取締役社長の吉川健一氏が出演。実際にあった緊急時の通訳対応の内容から、シーン別の効率的な外国語サポートの活用まで説明した。
緊急・危機時に求められる通訳事例
観光危機時、通訳サービスが必要な現場では何が起こっているのか。吉川氏が紹介した3つの事例を見てみよう。
ケース1:2011年の東日本大震災
東日本大震災時に設置したホットラインでは、災害が発生したの翌日から1週間後くらいまで、観光危機管理に関するコミュニケーションが続いた。内容は安否確認や帰国の方法、交通情報の確認が多く、その内容には外国人旅行者ならではのものもある。
例えば安否確認では、九州など被災地から遠く離れた場所からも自分が今いる場所の安全性を確認する内容があった。地震に慣れていない国から来た旅行者には、経験からくる感覚知がない。日本人が思いもよらない不安を抱く外国人は多く、その分、冷静に不安を取り除く説明をする通訳対応が必要なケースが増える。
ケース2:台風(2019年、ラグビーW杯日本大会中に発生した台風19号)
近年、大型化している台風。台風は、その他の災害と異なり、発生から上陸まで事前にわかることが多い。そのため、実際の災害が起こる前から問い合わせが入り、対応が必要な期間が長い。
問い合わせの内容が多いのは交通情報、次いで安否確認。最近、台風に関しては、運休情報の発信など交通機関の初動対応が早まっている。しかし、それを外国人旅行者が拾えるかどうかは別の話で、ここにも丁寧な対応が必要だ。
ケース3:個人の危機(訪日中に挙式にむかう途中の交通事故)
次は、誰しもに起こる可能性がある個人の危機。交通事故のケースだ。沖縄での挙式のために来日した外国人夫婦が、会場に向かう際に事故に遭った。花嫁は顔面を負傷し、血まみれの状態で救急搬送された。外国人の受け入れ体制が整っていない病院だったため、オンラインで現場の状況を見ながら医療通訳をおこなった。
このケースで必要になるのは、症状と治療方法の説明、それに対する同意を得ること。高額請求になることや、顔の傷跡を目立たなくする治療方法の選択肢、治療場所の選択肢(帰国後か日本滞在中か)を、リスクを含めてしっかりと説明し、理解してもらう必要がある。しかも説明する対象者は、本人と配偶者、両親など複数名に及ぶ。
吉川氏は、「災害や事故に巻き込まれたら、高度な通訳が必要になる。そこにどう対応していくか。インバウンド再開時には考えなければならないポイント」と説明した。
負担少なく、効果的に外国語サポートを利用する方法
観光事業者が外国語サポートを必要とする場面は、緊急時や危機の時ばかりではない。買い物や飲食といった観光事業者のサービスの最中に必要になるものから、迷子・遺失物の発生など事件の可能性があるものまで幅広い。観光事業者はレベルの異なる外国語サポートを、どう備えるのがよいか。
吉川氏が提案するのは、通訳対応の結果から、各シーンを見定めること。通訳内容の記録からは「必要なサポートの傾向が見える」という。具体的には、同じ内容の質問と回答が頻繁にある場合は、サイネージや配布物の用意などで、通訳対応自体を減らすことが可能だ。
一方で、高度な通訳が必要になる危機時の備えには、発生ベースで課金する“シェア型”のオンライン通訳サービスを推奨。「必要な時に必要な分だけ使えるオンライン通訳サービスで有効かつ円滑にコミュニケーションできる。通訳サービスの活用次第で、業務効率を改善できる」と説明した。
このほか吉川氏は、京都市観光協会とアウトレットモールを運営する三菱地所・サイモンの導入事例を紹介。京都市観光協会は東日本大震災後、日本全体が原発の風評被害にあった時期に、「京都への旅行が安心感を持っておこなわれるべき」との考えで導入した。市内の宿泊施設が必要な時に利用できる環境を、地域が整備したことが安心感の醸成につながり、「ここから成長フェーズがうまく走っていった」と評価した。
一方、三菱地所・サイモンでは店舗での対応ができるよう、バイリンガルスタッフを派遣。買い物時に通訳した内容を分析してセールスにつなげるなど、セールスや業務改善に活用していたという。
AI通訳との違いと未来
さらに吉川氏は、日進月歩で進化するAI通訳についても説明した。AI通訳は日本でも1980年ごろから研究開発されていたが、ぐっと進化したターニングポイントは、2016年後半に誕生したニューラル機械翻訳の誕生だ。
現在、日本では4種類ほどの翻訳通訳エンジンが使われているが、吉川氏によると、人の翻訳通訳を「1」とした場合、ニューラル機械翻訳での誤差はそれぞれ「0.25~0.3以下」。人の通訳翻訳にも「0.8~0.9」の波があるので、遜色のない程度まで開発されているという。
ただし、まだ完璧な翻訳通訳ができるわけではない。例えば、AIでは日本語の「ええっ!」という驚きの感嘆表現が「Yes」や「Yeah」と訳されたり、「猫舌」という慣用句は「Cat Tongue」とそのまま訳されることもある。その他、方言や地名への対応、声色の変化を反映させることも苦手だ。
ただし、そこにプロが介在することで、正しい翻訳がされる。例えば日本語の「新型コロナウイルス」は一般的なAI通訳だと「New Coronavirus」と訳されてしますが、この言い方はじつは英語圏では一般的ではない。プロがチューニングすると英語で一般的に使われている「COVID-19」となる。
吉川氏は、「AIは、自力では新しい言葉の定義や意味を反映できない。人の力で、スムーズなコミュニケーションを実現するエンジンチューニングができるものというのが、今のAI通訳のポイント」と説明した。
これを踏まえ吉川氏は今後、AIでの通訳は人の通訳と遜色ない形になるとしたうえで、「意思や意図がきちんと通じているかは別問題」とも述べた。使用者にとって魅力的な表現で通訳ができるかという問題もある。今後は「簡単な通訳はAIに任せ、通訳者がAIを使ってより高度な通訳を実現する。そういう世の中になる」と考えている。
地域で入る“保険”のような利用、言語サポートに対する世界の考え方も
吉川氏の講演を受け、トラベルボイスの鶴本は「改めて、おもてなし英語と緊急時対応は別だと実感した」とコメント。旅行者が必ず、事業者の営業時間内に病気や事故にあうわけではなく、「24時間対応できることは需要なポイント」とも話した。
また、京都市観光協会の導入事例については、「一つの地域でまとめて入る。ある意味、保険のようなもの」と所感を話した。吉川氏によると導入期間は、オンライン通訳や電話通訳で対応。緊急搬送が必要な重篤なケースもあれば、モーニングコールの依頼など簡単な内容なのに英語以外の言語のために宿泊施設が理解できず、通訳を利用したこともあったという。
このほか、吉川氏は視聴者の質問に答える形で、言語サポートのグローバルスタンダードについて説明。世界的にも言語サポートの整備は必要との考えで、ISO(国際標準化機構)では、通訳業の規定を進めている。「世界で見ると、広範囲で使用されている英語圏の人たちと、日本のような単一言語の単一国家の考え方は違う。ワールドワイドで言語をサポートしていく枠組みが、始まっている」と話した。
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記事:トラベルボイス企画部