コロナ禍は旅行業界に多大な打撃を与えた一方、環境汚染が改善したという利点も各地から報告されている。日本をはじめ世界各国でオーバーツーリズムによる環境破壊が再び起こることがないよう、各種施策も講じられるようになってきた。インバウンドが好調に戻ってきているタイでも、サステナブルな旅行業界のためにさまざまなプランが進んでいる。
2023年6月に開催された「タイランドトラベルマートプラス(TTM+)」で、タイ国政府観光庁(TAT)東アジア局長のチューウィット・シリウェーチャクン氏に話を聞いてきた。
ツーリズム再開に伴う弊害
2023年1月からパンデミック対策としての入国規制が完全に撤廃されたタイ。以来、インバウンドは右肩上がりで、5月までの統計では1100万人の入国者数を記録している。「TTM+」にも世界各国から429社のバイヤーが集結し、大変な活況を呈した。
一方で、好調なインバウンドは、他の国・地域と同様に、オーバーツーリズムにつながる可能性をはらんでいる。ハワイが人気スポット・ハナウマ湾への入場規制を強化したり、環境汚染につながる成分を含む日焼け止めの流通を禁止したりといった予防策を講じているのはよく知られている。
タイでも、レオナルド・ディカプリオ主演映画『ザ・ビーチ』の撮影地として知られるピピ島・マヤビーチに観光客が押し寄せた結果、深刻な環境汚染が発生。2018年6月から約3年以上にわたって、マヤビーチ一帯が閉鎖を余儀なくされた苦い経験をもつ。
2022年1月にいったん規制が解除されたが、影響調査のため同年8、9月の2カ月間、再度閉鎖された。2022年はタイ国内のツーリズムがすでに再開していたこともあり、1年間でクラビ(ピピ島をふくむエリア)を訪れた観光客は140万人、外国人旅行者も31万人が訪れたという。2023年1月以降、ピピ島の環境汚染問題はまだ報告されていないが、パンデミック中ですら旅行者が多く訪れる人気スポットだけに、慎重に観察が続けられている。
明確なゴールを示すことで加速化
TAT東アジア局長のチューウィット・シリウェーチャクン氏は、「今回開催されたトラベルマート『TTM+』の“プラス”にはITや人材などのほか、サステナブルという意味合いも込められている」と話す。サステナブルツーリズムの重要性はタイに限ったことではないが、「パンデミック中のツーリズムの停滞によって、環境汚染が改善したことで、タイは大きな気づきを得た」という。
具体的には「STGs(= Sustainable Tourism Goals)」を掲げる準備が進んでいる。国連が掲げる「SDGs」のツーリズム版だ。
SDGsと同じように、持続可能性を目指す17のゴールを設け、内容は「環境に対する意識を高める」「どのようなセグメントも平等に楽しめる」「コミュニティや地域に経済的な恩恵をもたらす」といったもの。地元の人々の環境意識を啓蒙するなど、ツーリズムを包括的にとらえている。たとえばゴルフ場建設のために木を切った場合、同じだけの木を植える活動をするなど、活動基準も設けられている。「“STGs”という言葉自体は新しいのですが、この活動は今に始まったことではありません」(チューウィット氏)。タイには以前から「グリーンリーフ財団」があり、1997年からホテルゲストに対し環境意識を高める働きかけをするなど環境問題に取り組んできた。
「STGs」のほかにも2022年4月からタイ政府観光局主導による「CFホテル=Carbon Free hotels」の認証をスタート。CF認証は、タイ温室効果ガス管理組織(公的機関)のガイドラインに基づき、政府観光庁とチェンマイ大学のエネルギー経済・エコロジー管理研究ユニットが開発・発足したもので、現在92のホテルが参加。CFホテルズのロゴが使用できるほか、政府観光庁の主催するセールスコールに代表団として優先的に参加することができる。
実際、明確な基準とゴールが掲げられているため、事業者それぞれがより明確に役割を認識することにもつながっている。動きは旅行業界だけにとどまらず、各官公庁にも広がっており、タイでは国を挙げて環境問題に取り組んでいることがうかがえる。
さらに、「STAR(Sustainable Tourism Accelerating Rating=持続可能な観光促進格付け)」と呼ばれる新たな認証制度の制定も進められている。ホテルやゴルフ場、レストランなど業種に合わせた基準を設け、満たすごとに高いレートをマークすることができる仕組みで、事業者ごとのサステナブルツーリズムへの貢献度が明らかになる。ツーリズム全体を包括する内容であり、かつ格付けすることにより、事業者のイメージアップや消費者行動への影響も出てくると考えられる。現在、タマサート大学などと協力してリサーチが進められており、正式な運営開始は2024年の見通しだ。
日本市場へのアピールは?
サステナブルツーリズムに向け、国を挙げてさまざまな施策を展開しているタイ。好調なタイのインバウンド市場の中で、日本人旅行者の回復は他国に比べて鈍い。
これに対し、チューウィット氏は「日本市場は今も重要なターゲット」と強調。「パンデミック前、2020年1~3月までの日本人旅行者数は31万人。渡航が止まった2021年でさえ9400人の入国があり、2022年には29万人と、ゼロになることはなかった。2023年1~5月までに25万人が訪れており、むしろ期待している」と話す。さらに、「人数は少ないがクオリティが上がっている」ことを挙げ、平均滞在日数9.8日、1日あたりの消費額5800バーツ(日本円で約2万3800円)と、この数字は「多くはないものの、上位に迫る」ことを明らかにした。
サステナブルツーリズムに関しては、「日本市場向けにあえて啓蒙することはありません。まだタイに来たことがないミレニアル世代や大学生などに訪れてもらい、アクティビティや体験を通じて自然に環境意識を高めていきたい」と話し、「まずはタイのファンになってもらうこと、それがサステナビリティにつながる。そこに投資していきたい。」と方針を示した。
実際、タイを訪れる日本人旅行者の消費行動の変化は実感しているといい、「かつてバックパッカーなどとしてタイを訪れた人々がシニア世代となった今、戻ってきて違う過ごし方を楽しんでいる」と語る。若者世代にもアピールを続ける一方で、ターゲットのひとつに資産1億円超の富裕層の子どもである「親リッチ」を掲げていることから、もはや数十年前に掲げたような貧乏旅行のイメージではないことは明らかだ。「以前と同じタイには戻らない」というチューウィット氏の言葉は、環境面のみならず、さまざまな意味を含んでいる。