観光産業がコロナ禍から急回復を見せる中、世界の有名観光地ではオーバーツーリズム問題が連日クローズアップされている。日本でも、インバウンドを中心に観光需要が急回復し、一部の地域や時間帯で過度な混雑やマナー違反による住民生活への影響、旅行者の満足度低下といった状況が顕在化。地域、観光事業者が観光消費額を高めて活性していくという命題も含め、地域住民と観光客とのあり方について模索が続いている。
欧州各地では、観光税や入域人数の制限、民泊の規制など、オーバーツーリズム抑制への動きが加速しているが、日本ではどうか?
観光庁で日本のオーバーツーリズム対策の中核として、この問題と日々向き合う国際観光部参事官(外客受入担当)の濱本健司氏に聞いた。
オーバーツーリズムは「観光公害」ではない
「オーバーツーリズムは日本語で『観光公害』と呼ばれることがあるが、それは間違いだと思っている」。濱本氏はこう断言する。
この年末年始も、主要メディアでは混雑する京都や東京の駅や人気スポットなどで大きな荷物とともに右往左往する国内外の観光客、帰省客の姿が数多く映し出され、その多くで「オーバーツーリズム=観光公害」と表現されていたことは記憶に新しい。
濱本氏はオーバーツーリズムについて、「都会も地方も、地域づくりの一環として観光客の来訪を促し、その相乗効果もあって育まれてきた文化や伝統が、一部の偏在によって混雑、マナー違反、満足度低下といった問題に晒されている。たとえば、ある地域が自然を魅力として打ち出し、観光客も楽しもうとしていたのに、互いにかみ合わずに破壊への懸念が生じているケースがある」と率直に指摘。
そのうえで、「各地では、外国人にも分かりやすい手ぶら観光を拡充したり、AIカメラ活用で無断立ち入り行為を抑制したりといった取り組みが進められている。オーバーツーリズム対策は、より良い地域づくりのために一つひとつの課題を正確にとらえたアプローチが求められている。『公害』とひとくくりにせず改善、解決に向けたさまざまな対策を、観光庁として地域とともに考えながら進めていきたい」と力を込める。
これまでの道のり、今後の取り組み
国の施策からも、オーバーツーリズム対策が、観光立国を目指す日本において喫緊の課題となっていることがわかる。アフターコロナを機に急増した観光需要に対し、2023年夏に岸田元首相の指示のもと、関係省庁が横断して実効性の高いオーバーツーリズム対策を検討する会合が開かれた。
この会合は、観光庁が事務局を務め、議長は観光庁長官、構成員に内閣官房、警察庁、デジタル庁、文化庁、環境省、国交省からは鉄道局長、自動車局長、海事局長、港湾局長、航空局長らが参加。省庁横断での議論を経て、2023年10月に各省庁のトップである大臣・長官が集う観光立国推進閣僚会議で対策パッケージが決定された。
対策パッケージは、「観光客の集中による過度の混雑やマナー違反への対応」、「地方部の観光地の魅力向上などを通じた地方部への誘客促進」、「地域住民と協働した観光振興」を3本柱としている。省庁横断の会合で、環境省を中心とした自然公園法に基づく入域規制やガイド同伴の義務化、警察庁を中心に防犯カメラの設置、交通規制が話し合われるなど、省庁の垣根を超えてさまざまな角度から指針が示されたことは大きな転機と言えるだろう。
直近でも2024年度(令和6年度)補正予算で「オーバーツーリズムの未然防止・抑制をはじめとする訪日外国人受入環境整備に向けた緊急整備」として、158億2000万円が計上されている。これは、2025年度(令和7年度)予算案を含めた総額1081億2000万円の約15%にあたる大きな配分だ。
主に受け入れ環境整備・増強、需要管理、需要の分散・平準化、マナー違反の防止・抑制、地域住民と協働した観光振興の取り組みに関する間接補助事業で、その目的について観光庁は「観光客の受け入れと住民の生活の質を確保しつつ、持続可能な観光地域づくりを実現するためには、地域自身があるべき姿を描き、実情に応じた具体策を講じることが有効である」と示している。
先駆モデル地域から浮かび上がる課題
さまざまな施策が打ち出されるなかでも、オーバーツーリズム対策の中核として濱本氏が挙げたのが、「先駆モデル地域」の取り組みだ。
過度な混雑やマナー違反に取り組む先駆モデル地域を、2024年度に観光庁の事業として採択した。具体的には、京都の手ぶら観光拡充や地下鉄などへの誘導、箱根のデジタルマップを活用した分散・平準化、白川郷の発地国・地域の分析に基づくタビマエを含むマナー啓発強化、西表島のエコツーリズム推進法に基づく立ち入り制限、阿蘇のEV・自転車活用による環境負荷の軽減、佐渡の島内二次交通強化などと、ざっと各地域の構想を抜き出すだけでも課題が多岐に及んでいることが浮き彫りになる。
観光庁ではオーバーツーリズム対策と同時に、地域に対して「日本版持続可能な観光ガイドライン(JSTS-D)」ロゴマークの取得を推奨している。オーバーツーリズムの改善、解決は、持続観光な観光地づくりの推進の一環ともいえるからだ。
JSTS-Dは、UNツーリズムなどの国際基準に準拠しながら、日本の自治体やDMOが観光客と地域住民双方に配慮し、持続可能な地域マジメントをおこなうためのツールとして開発したもの。達成すべき分野は、持続可能なマネジメント、社会経済のサステナビリティ、文化的サステナビリティ、環境のサステナビリティの4つあるが、濱本氏は「すべて目指すのではなく、まずは、とりあえずできることからやってみることが、自分たちのつくりたい地域のビジョン、そしてオーバーツーリズム対策にもつながるはずだ」と強調する。
地域一丸となった意思形成が重要
このように先駆モデルとして、地域ごとの特性・誘客戦略・課題に応じた対策を進めているわけだが、特筆すべきは採択の要件は「地域の関係者による協議の場において、具体的な対策に係る計画を策定し、取組を実施する」が盛り込まれたこと。自治体、交通、旅行会社、宿泊施設、物販など、観光に関わる関係者が協議する場を促すものである。
そのねらいについて濱本氏は、「地域の関係者で率直に話し合う協議の場をつくり、意思形成することが重要。もちろん、それぞれの民間ビジネスもある一方で、オーバーツーリズム対策にはチームとしての統一感が求められる」と説明する。オーバーツーリズム対策を協議する場ではあるが、その中で地域の目指す未来の姿を共有し、持続可能な地域づくりに向けた話し合いにつながっているという。地域の現場から「JSTS-Dの挑戦も含め、みんなで話し合うことで自分たちの地域が未来に向けて目指す姿が見えてきた」という声も上がっている。
こうした各地域の取り組みは、それぞれの課題解決を含めて今まさに進行しており、濱本氏は「2025年の前半には、事例集、課題の整理など何らかの形で全国に共有する仕組みをつくりたい」と意気込む。
また、観光客のマナー違反行為については、日本人にとって当たり前のエチケットが訪日外国人旅行者にとって必ずしも当たり前ではないという問題もはらんでいる。そのため、観光庁では、観光客に意識してほしいマナーなどを7つの行動例で示したポスター・リーフレット(5言語)、禁止する事項(14種類)や推奨する行動(8種類)を図式化したピクトグラムを補助表記(5言語)と併せて作成し、公表している。
濱本氏は「禁止・抑制が必要な場面はもちろんあるが、それだけでなく『こうすれば混雑を避けられます』『こういう行動を取ってくれればみんなが助かります』といったポジティブな発信をおこなっていくことを念頭に置いて取り組んでおり、地域のみなさんも自分たちに合った形で活用してもらえれば」と話す。
「繰り返しになるが、まずはそれぞれの目の前の課題に“絆創膏”で対応しつつ、地域の未来に向けて“体質改善”を図ることが大切だ」と力を込めた濱本氏。目の前の課題であるオーバーツーリズム対策と、未来に向けて地域のあるべき姿を描き、持続可能な観光地づくりのための改善を推進することはつながっている。
その言葉からは、とかく“影”ととらえられやすいオーバーツーリズム問題が、対策によって地域がより“光”を放つ可能性を秘めていることが浮かび上がってくる。
聞き手:トラベルボイス編集長 山岡薫
記事:野間麻衣子