2021年11月にスコットランド・グラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組み条約締約国会議)。二酸化炭素など温室効果ガス排出量の削減に向けて様々な宣言や合意がなされたが、観光分野でも気候変動対策「グラスゴー宣言」が正式に始動した。観光産業において2030年までに排出ガスを半減、遅くとも2050年までに実質ゼロ達成を目指すというものだ。
この大きな目標に向けて、観光産業はどのように環境対策に向き合うべきか?
自然豊かな中軽井沢で108年前に創業した星野リゾートは、その始まりである「星野温泉旅館」の開業時から環境に対峙してきた。長い歴史の中で環境保全を続け、その活動が利益に貢献するに至っている。その理由と、これからの観光産業が取り組むべき方策を、同社代表の星野佳路氏に聞いた。
環境保全と企業の利益を両立する
星野リゾートは、「CSV(共通価値の創造:Creating Shared Value)経営」に注力してきた。CSV経営とは、社会課題の解決に取り組むことで、経済的価値と社会的価値をともに創り出す手法だ。同社では、ビジョンとして掲げる「世界で通用するホテル運営会社」の達成のために重要なアプローチであると位置づけ、そのフレームワークとしてSDGsを捉えている。
星野リゾートにとって「環境との共生保全」は108年前の創業時からの大きなテーマ。それをCSVの考え方で利益追求との両立を目指す経営を始めたのは、星野氏が経営を引き継いだ1991年以降のことだ。
星野氏は星野温泉旅館とともに、水力発電3機と周辺の森・池などの広大な敷地も引き継いだ。これらを維持することは、先々代の祖父と先代の父から託された絶対条件。発電機は、電気の通ってなかった地域に旅館を開業した創業の魂といえるもの。そして、敷地と周辺の森、国有林は世界的にも貴重な多様な野鳥が生息する場所。それを知った先代たちが、生態系の保護に取り組んだ結果「国設 軽井沢野鳥の森」となったという。星野家代々の経営者の思いが強い財産だ。
これらを星野氏が引き継いだ当時、すでに電気は電力会社から購入した方が安価であり、「会社が大した利益を出していないのに、環境は守れといわれたようなもの」(星野氏)だった。だから星野氏は、「星野家の環境に対する価値観を守りながら、本業であるリゾートの質と魅力の提供を両立させることを考えた」。これはまさにCSVの考えで、「私たちがCSV経営に取り組んだ背景」と説明する。
そのため星野氏は、SDGsについても、「社会に求められるから取り組むのではなく、自社の価値観として社会的に大切だと思っていることを、自社のために取り組む」と言い切る。そして「それが持続可能性につながる」と考えている。
星野リゾートの環境への取り組みのうち、代表的なものは以下だ。
星のや軽井沢
-水力発電と地中熱・温泉排熱利用設備:運営に必要なエネルギーの70%を、再生可能エネルギーで生産。
星野リゾートのエコツーリズム専門家集団 ピッキオ
-地域の動植物や自然の保護活動とネイチャーツアー:地域の魅力創出になるとともに、環境や自然の保護活動を発信。多様なプログラムで、エコツーリズムで課題となる年間の平準化にも貢献。「星野リゾート西表島ホテル」でも日本初の本格エコツーリズムリゾートにすべく、活動に参画。
これ以外にも、「リゾナーレ那須」がフードロス対策を目的に近隣牧場の牛乳で作った「ミルクジャム」を全国の施設で順次販売開始するなど、各施設での取り組みも活発化している。
重要な「事業性との両立」、CSV経営を持続可能に
実際、環境保全と事業性を両立させることは難しい。それを実現し、持続可能な形で運営している星野リゾートの秘訣は何か?。
例えば水力発電は星野氏が経営を引き継いだ当初、単独で採算ベースに乗っていなかった。そこで地中熱・温泉排熱利用設備の導入を決断。水力発電と地中熱・温泉排熱利用設備の相乗効果で採算があうように設計し、2003年に着工。2005年の稼働後は計画通り、うまくいっている。当時は軽井沢以外にも再生事業で2001年に「リゾナーレ八ヶ岳」、2003年に「星野リゾート アルツ磐梯」、2004年にトマム「星野リゾート トマム」の運営を開始。「赤字の巨大スキー場を2つ抱え、軽井沢の立て直しにも入っていた。地中熱・温泉排熱利用設備にかなりの投資をしたが、余裕があったわけではなかった」(星野氏)という。
それでも、環境対策と採算性との両立を追求し、軌道に乗るまで挑戦し続けられた理由は何か。星野氏はCSVに限らず、同社の経営スタイルの特徴として「期限を設けず、少しずつ取り組む柔軟性」をあげた。最近はスピード経営が実業界のトレンドとなっているが、同社では目標を設定しても、方向修正をしながら少しずつ進める。うまくいかなければ違うことを試してみる。その結果、「最初に目指していたところと着地点が違うことがある。それを良しとしているのが私たちの特徴。毎年、柔軟に将来計画を変更しながら進んでいる」と説明する。
ピッキオも当初は赤字だった。改善するにはまず集客を増やすしかなく、そのための打ち手を打っていく。その過程で、野鳥だけではなくツキノワグマの保護管理をおこないながらツキノワグマウォッチングやムササビウォッチングなど人気のプログラムも誕生し、需要を標準化するアクティビティも開発した。「それがまた集客につながる。それを繰り返すしかない」という。
星野氏に、CSVの観点で注目する世界の成功事例について聞いてみた。
「欧州や米国で長く続いている老舗のスキー場は、100年前に今の状態をビジョンとして描いていたなんてことは、きっとない。マーケットの変化や反応をキャッチして少しずつ進化し、たどり着いた先が現状なのだろう」。
観光が目指すCSV経営の本質とは?
環境対策と生産性の両立に長年向きあってきた星野氏は、「特に環境負荷の軽減については、観光分野が対応すべきことが見えてきた」という。観光産業ででは、ごみの分別やプラスチック製品の不使用、太陽パネルの設置などが進んでいるが、星野氏は観光産業の環境対策の本質は「私たちの商品の変革にある」と話す。そのキーワードは「滞在型(連泊)の推進」、そして「マイクロツーリズム」だ。
なぜ滞在型の推進が、環境負荷の低減につながるのか。
例えば、年間、旅行で合計10泊する家族の場合、1泊2日なら年10回旅行をしていることになる。その都度、移動でCo2を排出し、宿泊施設では毎回タオルやシーツの洗濯が必要だ。これが5泊で年2回の旅行になれば、移動はもちろん、リネン類のクリーニングの回数も減って、部屋の清掃内容も変わる。同じ10泊でも、環境負荷を下げる運営が可能になる。
星野リゾートが実施した顧客満足度調査では、連泊顧客は満足度が高いという結果が出ている。連泊顧客はゆとりのある時間のなかで充実した体験を選び、タビナカ消費を積極的におこなう傾向にある。「環境負荷を軽減する提案ができる上、お客様にもプラス。私たちも1泊あたり低いコストで価格やサービスを提案できる」(星野氏)。
また、長期滞在の観点ではワーケーション市場も重要だ。従来、仕事のために短期の旅行ができていなかった人が仕事を持ち運ぶことで長期滞在客になりえる。星野氏も、コロナ禍で人々の働き方に変化が起こった一時のトレンドではなく「家族旅行をより充実させるものになる可能性がある」と、潜在的な価値に注目するよう指摘する。
もう1つのマイクロツーリズムは、星野リゾートが県境移動の自粛要請がされたコロナ禍での需要獲得で提言し、すっかり世の中にも知られるようになった。実際に、以前から星野氏は、コロナ禍での星野リゾートの一番の進化を「マイクロツーリズム」と明言している。近距離の旅行先は、移動距離が減るので、環境負荷が低くなるのは当然だ。しかし星野氏は、旅行の価値の概念を変える取り組みとして、その重要性を強調する。
コロナ以前の旅行は、海外など遠くに行くことが贅沢で見分が広まる良い旅行という印象があった。しかし、星野氏は「旅から得られる効能や子供と一緒に行く家族旅行の目的を考えれば、遠方への旅行と同じ幸せ度が得られる旅行を、近距離でも提供することが私たちの責務だと思う」と力を込める。
環境保全やサステナブルの観点で、観光産業ができることはまだまだ多い。星野氏は、それに真剣に向き合い、取り組むことが、各事業者のCSVに繋がり、観光を魅力的で強い産業にすると信じている。