日本社会で観光産業が存在感を増す一方で、人手不足が大きな課題となっている。その解決の一助となると考えられるのが、観光への理解を醸成する「観光教育」だ。文部科学省や観光庁でも観光教育の充実を図っているが、産業として成熟する上で、学校や地域はどのような観光教育にどう取り組むべきか。日本大学 国際関係学部の宍戸学教授に話を聞いた。
職業訓練から始まった日本の観光教育
観光庁は2017年度から観光教育に取り組み始め、2022度からは学習指導要領改訂により高校の商業科に「観光ビジネス」科目が導入された。しかし、そもそも観光教育とは何を指し、そしてどう捉えるべきものなのだろうか。日本大学 国際関係学部の宍戸学教授はこう話す。
「日本では、観光教育は職業教育として一般に理解されているのではないでしょうか。日本の観光教育は、1940年に開催予定だった幻の東京オリンピックに備えて1935年に国際ホテル学校(現:東京YMCA国際ホテル専門学校)が開校して以来、専門学校におけるホテル教育が先行してきました。また、立教大学が1967年に設置した社会学部観光学科にはホテルや航空会社など観光業界で働きたい学生が集まりました。大学の観光学科では地理学的アプローチによる学びもありましたが、高等教育における観光教育は2000年代までは観光業界を目指す人のための教育と捉えられていたと言えます」
1987年にリゾート法(総合保養地域整備法)が制定されるとリゾート開発ブームが起こり、観光系大学の増加、さらには高校における観光教育の広がりへとつながっていった。
「日本各地にリゾート地が誕生し、地元人材を育成すべく1980年代から1990年代に公立高校の商業科を中心に観光科やリゾートコースが設置されました。かつて私が教員を務めていた北海道ニセコ高等学校もその一つです」
課題解決型の学びと観光へのアプローチ
学習指導要領の改訂(2002年・2003年実施 )で「総合的な学習の時間」が新設されると、学校教育における観光教育の内容にも変化が起こった。「それまでの詰め込み型学習ではない、課題解決型の学習を目指す『総合的な学習の時間』が小中高で始まり、地域課題として観光を取り上げる学校や教員が出てきたのです」
加えて、1994年に実施された学習指導要領の改訂による影響もある。高校の社会科が地理歴史と公民に分けられ、地理歴史に世界史A・B、日本史A・B、地理A・Bの6科目が設置された。しかし、世界史が必修となったことから地理を選択する生徒が減ったという。
「これに危機感を感じた地理学の教員が、地理学から観光にアプローチするようになりました。また、この学習指導要領の改訂では普通科と専門学科から生徒の興味関心に応じて科目を選べる総合学科が導入され、地域の学習として観光が取り上げられるようになりました」
さらに、2013年から高校では学校設定科目を設定できるようになり、この科目で観光を学ぶ学校も出てきた。「総合学習や課題研究、社会科で地域について考えるようになると、『地域の発展を観光が支える』という考え方が浸透していきました。すると、職業教育としてだけでなく、地域活性化や地域課題解決の文脈でも観光を学ぶようになったのです」
このように、学校教育の変化と連動する形で観光教育もまた、変化していった。
公教育に観光の科目がある意義
観光にはいろいろなエッセンスが詰まっているため、近年はさまざまな科目に取り入れられている。
「高校の水産科では以前からマリンスポーツを扱っていますし、農業科でも六次産業化やグリーンツーリズムなど観光に関わる分野を意識した学びが取り入れられています。他にも家庭科、英語教育でも観光を切り口に学ぶことができます。しかし、あくまで観光を切り口とした学びであって、教員の熱意があって取り入れられているケースが多いですね。1990年代に高校に観光科やリゾートコースが設置されたのは、ある意味トレンドのようなもの。私としては、観光教育がトレンドに終わらず、学校教育に根付いてほしいと思っています」
だからこそ、2022年度から商業科の選択科目として「観光ビジネス」科目が導入された意味は大きいと宍戸教授は指摘する。「これまで高校における観光教育といえば『特色ある教育』や『地域独自の教育』であり、『特別な学校や観光地の学校がやるもの』と捉えられていました。国の観光立国という旗印のもと、『観光ビジネス』が科目になって学びの内容が定められたこと、来年度には教科書も発行されることは大きな意味があると言えるでしょう。学習指導要領の改訂はおよそ10年に1度ですから、『観光ビジネス』科目を設置する学校は今後も増えるのでは。『観光ビジネス』は選択科目ですが、将来的に必修科目になるといいですね。観光関連の科目が定着すれば、他の科目への広がりが出て観光教育の体系が整っていくはずです」
地域の経済活性化に必要な専門人材
では今後、学校ではどのような観光教育がなされていくべきなのだろうか。
「観光教育には、観光について広く知ってもらう啓蒙の側面があります。例えば観光庁では2017年度から観光教育を推進するための事業を行っていますが、これは地域活性化の教育であるものの、観光について啓蒙する意味合いもあります。また、宮崎県では県とみやざき観光コンベンション協会が作成・配布した観光副読本が、県内の小学校(4年生以上 )、中学校、高校での授業に役立てられています。観光地域においては、地域の人々や子どもが観光客を受け入れるホスピタリティやおもてなしを学んだり、観光の価値に気づくことは重要です。その点を含めて社会科や『総合的な学習(探究 )の時間』などを使って広く啓蒙する観光教育も求められるでしょう」
しかし、これからの観光教育では啓蒙以外の側面の充実も求められる。
「観光立国を目指す上では専門教育も非常に重要です。この先さらに少子高齢化が進む日本が観光立国を目指すのは交流人口による経済活性化など、経済効果に主眼を置いているためです。しかし、今はどこも人手不足です。高校が最高学府となっている地域では高校が人材を輩出することになるため、高校の観光教育でも専門性を持った観光人材を育てることはとても重要になってくるでしょう。商業の科目として生まれた観光ビジネスは観光マーケティングの一部ですし、プロモーションを含めたマーケティング戦略として考えると、当然経営の話になります。『観光ビジネス』科目導入をチャンスと捉え、観光の専門教育を確立し、観光の啓蒙と両立していく必要があると思っています」
地域と連携した観光教育がカギ
これまで高校における観光教育は商業科を中心におこなわれてきたが、今後は普通科にも広がる可能性が出てきた。というのも、2022年度から、従来の普通科に加え、学際領域に関する学科や地域に関する学科などを普通科として設置できるようになったためだ。今後は、この新しい普通科に地域や観光に関する学科を設置する学校も出てくると見られている。
厚みを増す高校の観光教育だが、課題もある。高校の教員がすべて観光の専門教育を行えるわけではなく、観光への意識が高いとは限らないこと。そもそも、学校で学ぶべき学びは多岐にわたり、観光はその一つであること。これらを踏まえて、専門教育と観光の啓蒙を実現するにはどうすればいいのだろうか。
「教員は観光の専門家ではありませんし、実学である観光の学びは教室内では完結しません。高校までの観光教育は学校の中に閉じ込めるのではなく、地域に教材を求めていき、地域とつくることが望ましいでしょう。観光庁でも、今年度はDMOや観光協会、自治体観光課など地域主体が主体となって学校と連携したモデル事業を進めています。観光を地域活性化に位置付けること、それが一般化することが重要ですから、このモデル事業で得られた知見が全国に波及するといいですね」
経済効果や人手不足解消に意識を向けすぎない
地域と連携して観光教育を進める際、気をつけるべき点があるという。
「地域の観光に参画できるのが観光教育です。しかし、お祭りなどの人手不足解消のために生徒をボランティアやバイトとして扱うといったことも起こりえますから、そこは注意が必要です。大切なのは、地域の人々と教員がともに学びながら、地域をどう活性化できるのかを考えること。また、地域課題の解決やプロモーションという発想だけで観光教育を進めると、大事なことが抜け落ちてしまうことがあります。観光の持つ力や役割にはさまざまな面があり、観光教育の目的は地域課題の解決だけではありません。児童生徒が外の世界に触れることは違う価値観との出会うこと。学校交流や青少年交流などを通じてお互いを理解したり、平和について考えることにもつながります。経済効果などの数値に意識が向きがちだからこそ、こうした数値で測れない教育効果を教員が意識しておくといいでしょう」
職業教育から始まった日本の観光教育は、ようやく高校でも充実し始めた。高校、そして大学や専門学校における専門教育へとスムーズにつなぐためには、小学校や中学校における観光教育の充実も必要となってくるだろう。
新学習指導要領でも掲げられた主体的で探究的な深い学びは、地域や観光といったテーマとの親和性が高い。観光教育を通じた地域とのつながり、新しい世界や価値観との出会いは、子どもの成長を促すとともに観光の魅力や地域にもたらす”チカラ”に理解を深めることにつながるはずだ。啓蒙から専門人材の育成まで、観光教育の体系化とプログラムが確立されることに期待したい。
取材・記事:REGION 鷲山淳 / フリーライター吉田渓
編集:トラベルボイス編集部