日本人の海外渡航自由化は、1964年4月1日のこと。この日に観光に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能となった。この連載では、海外渡航自由化50周年を記念して日本旅行業協会(JATA)が発表する日本の旅行業界の歩みをまとめた資料から、50年の歴史を振り返っていく(画像はJALサイトからキャプチャー)。
▼ツアー代金は、現在のラグジュアリートラベル商品並み
ハワイ5日間トロリー乗り放題で6万9800円~。エイチ・アイ・エス(HIS)の2014年の初売りキャンペーン「初夢フェア」で販売されていた、ハワイ商品の一例だ。現在では1日あたり1万円~2万円台のハワイツアーなど、手を伸ばせば届く範囲の商品が流通され、海外旅行は一般的なものとなっている。
しかし、海外旅行の黎明期である1960年代は、購入できる客層が限られた超高額商品だった。海外渡航の自由化から1週間後の4月8日にJTBが主催した、ハワイ9日間「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」の旅行代金は、当時の国家国務員大卒初任給(1万9100円)の19倍という36万4000円。1965年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は67万5000円だ。
これらを現在の物価に換算すると、JTBのハワイツアーは400万円、ジャルパックのヨーロッパツアーは700万円に相当。誰もが行ける価格ではなかったが、それでも1964年の出国者数は12万7749人になった。
特別なものだった海外旅行の参加者は、スーツにネクタイを着用して航空機に搭乗。空港には多くの人が集まり、彼らの出発を見送った。旅の必携品は、御守と正露丸、漬物、せんべいなど。海外で購入する土産品で人気があったのは、高額な関税、日本への持ち込み制限にもかかわらず、洋酒やたばこ、香水だったという。
▼海外旅行商品の流通形成、航空会社と歩んだ需要開発
当時の国際社会と日本の関わりを見ると、海外渡航が自由化された1964年はアジアで初めてとなるオリンピックオリンピック東京大会開催のほか、為替取引が原則自由となる国際通貨基金(IMF)8条国への移行、経済協力開発機構(OECD)への加盟など、日本の国際化が急速に進み始めた年である。
こうした流れの中、日本の旅行業界では1965年1月にはジャルパックが「ジャルパック」ブランド商品を発売。1968年には、JTBと日通旅行の共同ブランド商品「ルック」と郵船航空サービスの「ダイヤモンドツアー」、1971年に日本旅行の「マッハ」、1972年に近畿日本ツーリストの「ホリデイ」など、大手旅行会社によるパッケージツアーのブランド商品が誕生。ホールセールを基軸とする海外旅行商品の流通が形成されていった。
JTB相談役、松橋功氏(日本旅行業協会(JATA)元 会長)は当時を振り返り、以下のように語っている。
「金融機関とタイアップして海外旅行のための積立預金を企画し、自由化と同時に海外旅行に出発できるようにしました」
「航空会社が独自ブランドでツアーを積極的にPR して宣伝機能を果たし、旅行会社は企画と現地手配に徹するという役割分担により、一丸となって新たな市場開拓と需要開発に積極的に取り組んだものです」
情報提供:日本旅行業協会(JATA)