古くから「一生に一度はお伊勢参り」と大衆の憧れを集め、江戸時代には実に6人に一人が参拝に訪れたという説もある伊勢神宮。現代でも、パワースポットとして、旅先として、人気は健在だ。20年に一度の式年遷宮があった2013年には約1420万人が訪れ、伊勢志摩サミットが行われた2016年には世界でも知名度を上げた。
その伊勢神宮を抱える三重県伊勢市の観光戦略とは?デジタルマーケティングから広域連携や着地型商品まで同市の観光担当者に話を聞いてきた。
英国の動画広告はグーグルも驚く結果に
伊勢市は、近年デジタル観光戦略に力を入れている。本格的に取り組みを始めたのは約2年前。じゃらんリサーチセンターとの協業による「初TABI in 伊勢」キャンペーンが最初だ。
既存のICTプラットフォームを活用し、若者層に対してはリクルートの若者層の行動支援「マジ部」、市内の宿泊率向上には「じゃらんnet」、市内での体験・消費の把握や誘発には地域事業者の業務・集客支援「Airレジ」を活用。観光客誘致の課題だった若者層へのアプローチを強めた。
伊勢市産業観光部観光担当理事の須崎充博氏は「それ以前からデジタルマーケティングの重要性は分かっていたが、人材が不足していた」と話し、民間企業との協業を始めた背景を明かす。実施にあたっては、若い伊勢市長や議会の若手議員のデジタル戦略への理解も大きかったという。
昨年はグーグルとも協業。伊勢志摩サミットで露出も高まったことから、インバウンド市場での訴求力を高める狙いで、動画サイト「YouTube」上でデジタル広告を展開した。
ターゲットはイギリス。当初は日本の伝統文化に関心の高いフランスもターゲット候補として上がったが、英語の波及効果を考慮した。また、伊勢市の皇學館大学と英カンタベリーのケント大学との学生交流のなかから、イギリスでは伊勢神宮への興味の高さが伺えたことが大きかったという。カンタベリー大聖堂への巡礼という共通点もあり、広告ターゲットをイギリスに絞った。
広告展開期間は2016年5月20日〜6月30日。YouTubeで旅行好きのユーザーが見る動画に伊勢神宮の広告をポップアップさせるもの。すぐにスキップされないように、冒頭に印象的なイメージを入れる工夫もした。その結果は、「グーグルも驚くものだった」(須崎氏)という。
ポップアップの592万0568回の表示に対し、のべ174万3578人が30秒以上視聴。動画視聴数の目標66万6667PVの約2.6倍となった。30秒以上の視聴率も29.45%に達し、目標の10%を大きく上回った。動画冒頭に流れる広告はスキップされる確率が高いが、須崎氏は「10人に3人が30秒以上見てくれたことで、ヨーロッパでは伊勢に興味があることが分かった」と手応えを示す。
2017年4月現在、この動画はネット上で視聴することができないのが残念だ。
SNSの時代、勝ち組と負け組みがはっきりと
一方で、行政が情報発信をする難しさも。海外での動画の反響はなかなか市民や議会には伝わりにくく、動画をきっかけとする訪問者数で評価されると、「デジタルマーケティングを続けていくのは難しい」(須崎氏)。中長期的な誘客戦略、KPI(重要業績評価指標)の設定などで課題はあるが、それでも須崎氏は「先進的なことをやっていきたい」と意気込む。
今年は東京でもイギリスと同じYouTube広告を展開するが、「その効果はイギリスの場合よりも地元に伝わりやすので、デジタルマーケティングへの理解も深まるのではないか」と期待は大きい。
ひと昔前は、地域の魅力を磨けばメディアが取り上げて発信してくれたが、今は誰もが発信できるSNSの時代だ。「昔は『伊勢に行ったけど、行く前のイメージと違った』という話も聞いたが、今ではみんな事前に情報を持っているので、そういうことはない。大切なのはその事前情報をつないで発信すること」と須崎氏。一方で「本物の素材を持っていれば、それが小さなものでも強い。だから、勝ち組と負け組がはっきりする時代ではないか」との考えも示す。
地方自治体は先進的な民間事業をまとめる役割
民間事業者との連携はデジタルマーケティングだけではない。
ヤマト運輸との協業では、JR伊勢市駅に「手ぶら観光サービス」として手荷物預かり所を置いた。JALとのコラボレーションでは、共同で「常若婚」ツアープランをつくった。JRとは共同で広告キャンペーンを展開している。
自治体が行う取組みとしての観点から興味深いのは、いずれの連携もその対象が伊勢市に限らないことだ。手ぶらで観光サービスは、伊勢市観光協会との連携ながら、鳥羽や志摩に宿泊する旅行者向けに「ホテルへの配送サービス」も行っている。常若婚については、「地域別ではなく目的別のプランの方がリピーターにつながりやすい。伊勢市としては、宿泊は鳥羽志摩、京都、滋賀、大阪でもOKというスタンスを取っている」と明快だ。また、JRとの広告展開では、ポスターに近鉄や志摩での宿泊も入れ込んだ。
「民間事業者は利益を上げるために新しいことを事業化する。それをまとめるのが地方自治体の観光担当の役割だと思う」と須崎氏。それによって、関わる事業者や自治体がウィンウィンの関係になれば、伊勢市にとってもメリットがあるという考えだ。
DMOによる着地型商品で地域が稼ぐ仕組み構築
伊勢市への旅行者は、伊勢神宮を参拝する日帰り客が多勢を占めるため、地域にお金が落ちる仕組みとして、着地型商品の開発に力を入れている。129種類の体験型商品をつくり、昨年9月から『じゃらんnet』で「コト旅in 伊勢」として販売した。
一方、今年2月には地域DMOの伊勢まちづくりが同じ商品を販売するサイトを立ち上げた。須崎氏は「システム利用料は支払う必要があるが、地元が売れば、その手数料は地元に入る。地域DMOがやることで、地元の人たち自身が体験型商品を育ててくれないか」と地域で稼ぐ体制づくりにつながることに大きな期待を寄せる。
伊勢神宮は日本人の「特別な場所」、インバウンド誘致は慎重に
伊勢神宮への参拝客数は、式年遷宮の2013年は約1420万人。その後、2014年は約1087万人、2015年は約838万人と減少している。しかし、20年前のピークが800万人だったことを考えれば、特別な2013年は除き、伊勢市を訪れる旅行者数は安定している。
須崎氏は「市内の受け入れ体制や市民生活を考えれば、800万人から900万人が適切なのではないか」と見ている。
このうち、外国人旅行者はおよそ11万人。ただ、伊勢神宮での目視算出のため、区別のつきにくいアジアからの個人客を加えると、実数はもっと多くなるだろうとの見立てだ。
須崎氏は、今後の外国人旅行者の受け入れについて「目標設定には慎重になる」と明かす。訪日外国人の地方分散化が強調されているが、「伊勢市は日本人に愛される観光地であることが大前提。大量の外国人が訪れて、伊勢神宮の本来的な意味が失われては意味がない」。そのため、イギリスでのYouTube広告戦略のように伊勢市のインバウンド戦略はターゲットを絞っている。
聖界と俗界が宇治橋を挟んで別れる伊勢神宮。地域が稼ぐには俗も大切だが、聖が本来の意味を失っては本末転倒。「『なぜ日本人はあんなに伊勢神宮が好きなのか』という問題意識が、インバウンド旅行者のモチベーションになって欲しい」と話す須崎氏。伊勢神宮という唯一無二の存在を抱える伊勢市のインバウンド戦略は、日本人旅行者とのバランスの中で進められている。
聞き手 トラベルボイス編集部 山岡薫
記事 トラベルジャーナリスト 山田友樹