スクランブル交差点が、日本を代表する観光の人気コンテンツとして定番となった渋谷。いまでは訪日外国人の半数強が訪れる東京のなかで、新宿、銀座、浅草に次ぐ4番目に多い訪日客数を誇るようになった。世界的な知名度を得た優位性で、同協会では東京オリンピック後も訪問者数は増え続けると、集客力に自信を持っている。
その一方、観光客は交差点に来るだけで渋谷から出てしまい、その先の体験価値の向上が必要との課題もある。“交差点から先の体験価値の提供”に向けた、渋谷区観光協会の取り組みを聞いてきた。
日本屈指の訪日アイコンを持つ渋谷の悩み
いま、渋谷区観光協会が体験価値の向上のために取り組んでいること。それは、ビーコンを街中に設置し、来訪客にピンポイントで情報を受発信できる仕組みをプラットフォーム化することだ。設置数は2017年12月時点で800か所。これを2017年度末には1500か所にまで広げる。
渋谷区観光協会のCX(City Experience)ディレクター・岩本義樹氏によると、東京都を訪れた外国人旅行者が渋谷に行った割合は4割強。つまり渋谷区には、訪日外国人全体の約2割が訪れていることになる。
しかし、携帯電話の位置情報で訪日外国人の滞在状況を解析したところ、渋谷区は昼の12時から夜7時の滞在が多い。交差点で写真撮影をして別の街へ移動してしまうことが、データからもうかがい知れる。世界的知名度を誇り、集客に力を入れなくても来訪者が訪れる優位性が、宿泊や回遊性を高めて消費を拡大することに活かし切れていないのが現状だ。
そこで同協会では、地域での体験創出や駅前からの周遊を促進するタビナカ施策に注力。例えば、観光マップは昼用と夜用の2通りを作成し、観光客を送客できる仕組み作りなどを進めている。
この事業も、地域の回遊促進が目的の1つ。「渋谷区には“坂の文化”がある。原宿に行くときには街を歩いて楽しんでほしいし、ファッションが好きな人には代官山エリアにも足を延ばしてほしい」(岩本氏)という同協会の思いを、ビーコンのプラットフォームでどう実現しようとしているのか。
駅前の活況を広域へ、地域課題の解決も図る
ビーコンはBluetoothで受発信をするため、半径数十メートルの範囲で人が通った瞬間を察知し、ピンポイントの情報発信が可能だ。同協会では、このビーコンで来訪者の動きをトラッキングするプラットフォームを作り、対応するリファレンスアプリ「PLAY! DIVERSITY SHIBUYA」をサードパーティに開放。彼らのユニークな発想で、街の魅力を拡張しようとするのが本事業の大きな枠組みだ。
例えば、渋谷駅の地下改札口を出た時や駅の地上出口を出た時、渋谷ヒカリエの3階に入った時など、その瞬間に効果的な情報を来訪者に発信。キャラクターを表示し、画面をかざして情報を表示するARソリューションを仕掛けて楽しませたり、カフェの前を通りかかったときに「ここのカフェはタバコが吸えます」などと通知することもできるという。
さらにこのプラットフォームは、地域課題の解決を図る仕組みが含まれているのもポイントだ。
IT系メーカー出身の岩本氏は独立後、観光協会やDMOの業務委託を請け負い、デジタルマーケティングなどに携わってきた。そこで目の当たりにした各地域の課題を踏まえ、(1)地域内の旅行者の動向データの取得と、(2)同協会が自走するための収入を得られる仕掛け作りにも配慮した。
特に重要なのはデータ。アプリからはユーザーのプロファイルが取得でき、ビーコンのトラッキングからは例えば、渋谷ヒカリエに来館するまでの経路から館内の行動、その後の訪問先など、詳細な回遊データが取れるようになる。人の属性と流れが分かれば、来館前に立ち寄ることが多い場所に効果的な広告投下もできる。
「データはマーケティングの基礎になるもの。これまで地域が回遊データを取っていなかったのが歯がゆかった」と岩本氏。特に渋谷は域内への入口が多く、回遊パターンを掴みにくかった。この貴重なデータを今後、地域の事業者に提供することも可能になるという。
さらに岩本氏は、通知の開封率や通知を見て来店した場合などの成果報酬型の広告として情報発信ができる仕組み作りも検討。将来的にはパートナーから利用料を受け取ることも視野に入れる。事業を維持するにはコストがかかり、地域で何か事業を立ち上げても、補助金の終了後は民間事業者に移行するパターンが多かった。だからこそ、「観光協会は補助金を取る組織ではない。地域のビジネスとして回していけるようにしたい」と考えている。
地域に立ちはだかる2つの壁、乗り越えられた理由
観光戦略を事業化するには、どの地域にも2つの大きな障壁がある。その1つは、予算。岩本氏も「観光協会は驚くほど予算がない」と、地域の厳しい懐事情を語る。そこで岩本氏が考えたのが、総務省が展開する「おもてなしプラットフォーム」とクラウドの活用だ。
「おもてなしプラットフォーム」は異なる地域や事業者が連携し、情報の共有・活用を可能とすることで訪日観光客へ付加価値の高いサービス提供を目指すもの。この実証事業の認可を受ければ、各地域が情報を収集するための「事業環境の整備」に係る費用の補助が受けられる。
一方、上記の「事業環境の整備」に含まれる本事業のデータ共有や分析には、オラクルのサービスクラウドを用いた。各地域に携わった経験のある岩本氏は、どの地域でもできる予算感だという。
日本オラクルのビジネス推進第1部担当シニアマネージャー・新井庸介氏も、「大予算のある地域でなければできない、ということはなくなった。そう意味では、クラウドで平等になっている」と、地域の規模に関わらず導入できることを強調する。
最大のカギは地域間の同意形成
さらに重要なのは、地域の協力体制。最大の障壁は、地域内の同意形成だ。従来にないアイディア、特にデジタル分野の仕組みを用いた新規事業にあたっては、観光協会と地域事業者、行政の考えに温度差があることが多いと聞く。
これについて、おもてなしプラットフォーム事務局として地域との関わりの多いデロイトトーマツコンサルティングのデロイトエクスポネンシャル マネージャー・平林知高氏も、「例えば、若い経営者が将来を見据えて新しいソリューションを取り入れようとしても、その上の世代は現状で満足していて、その気にならないこともある」と世代による意識差の存在を語る。
では渋谷ではどうか。「道玄坂やセンター街、宮益坂など、地域内にそれぞれ商店会があり、観光協会の方向性に対してかなりサポートをしてもらっている」と岩本氏。長年事業を営んできた各商店会の会長の同意のもと、ビーコンの設置から送客ソリューションなど、好意的に対応してもらえているという。
ただし、それは「それで今よりも街が動くなら」「駅前からどう送客してくれるのか」と、ビジネス的な厳しい視点のもとに得られたもの。地域事業者のビジネスに対する意識の高さが、本事業を動かす原動力になっている。岩本氏は、「そういう方々と話をしていくのは大変な部分はある。同意の理由がクリアな分、そこはしっかりこたえていかなくてはいけない」と、地域事業者の意識にも同調する。ここに本事業が動き出した成功要因がある。
平林氏によると、意識のギャップは地域によって異なり、都市部では行政よりも事業者の方が先進的だが、地方では行政の方が進んでいる傾向も存在するという。いずれにしても、「事業者や地域が自分たちの課題として認識しないと前進しない。最後のピースまで揃わなければ、地域が潤っていくことは難しい」と、地域の各関係者が同じ視点を持つ重要性を語る。
なお、本事業は訪日外国人だけではなく、日本人も対象。岩本氏は観光客のみならず、来訪者や通勤・通学などで恒常的に通う人の利用も推進する考えだ。そしてパートナーは「(アプリや広告など)常時10事業者が関わっているようにしたい」との目標も抱く。ゆくゆくは吉祥寺や鎌倉など、渋谷を基点に出かけられる地域との連携なども視野に入れている。
インタビュー:トラベルボイス編集長 山岡薫
記事:山田紀子