右肩上がりの力強い成長を続ける訪日インバウンド旅行者マーケット。一方で、2019年8月には日韓関係が影響し、単月での外客数がマイナスに転じた。9月は増加に転じたものの、旅行者が増えすぎることで、地域住民の暮らしに悪影響が及ぶオーバーツーリズム(観光客の増えすぎ問題)も、世界各地で問題となっている。こうした状況を受けて、日本の訪日客誘致はどのように進めていくのか?
日本政府観光局(JNTO)の亀山秀一理事長代理は「目標を達成するためには何が必要なのか、データを分析し、ゴールを設定しながら、システマティックにやっていきたい。プロモーション活動も、思い付きではなく、戦略的に策定することを心掛けている」と話す。亀山氏に、JNTOが目指す理想の訪日プロモーション活動のあり方話を聞いてきた。
<亀山秀一氏 プロフィール>
1988年に運輸省入省。観光庁の国際交流推進課長、JNTOニューヨーク観光宣伝事務所長、同海外マーケティング部長などを経て、国連世界観光機関(UNWTO)のスペイン本部へ。日本人では初のUNWTO本部事務局長アドバイザーを3年間、務めた。帰国後、2019年7月からJNTO理事、10月から現職。
消費額を拡大するようなコンテンツ開発に注力
政府が掲げる数値目標は2020年の訪日外客数が4000万人、2030年までに6000万人。消費額ベースでは同8兆円、さらに15兆円。ここ数年、訪日インバウンド市場が、世界から注目されるほど大躍進してきたのは間違いないが、ここから先の道のりも長い。
インバウンド市場をさらに飛躍的に拡大するために、JNTOが2年前から着手しているのが欧米豪向けのグローバル・キャンペーンだ。周知の通り、訪日外客の8割以上は中国、韓国、香港、台湾などアジアから。距離的に日本から近く、日本への興味も高いマーケットだが、6000万人達成を目指すためには、裾野をもっと拡げる必要があると亀山氏。「アジアからの旅客誘致は引き続き重要だが、一方で、欧米豪には、まだ日本を旅行先として意識したことすらない人がいる。この層を開拓し、将来につなげることが狙い」と話す。
達成目標が話題になるときは、どうしても人数に注目が集まりがちだが、「我々は消費額も同じく重視している。この観点からも、欧米豪マーケットの掘り起こしは不可欠だ。日本は長距離路線で訪れるデスティネーションとなるため、当然、一回当たりの滞在日数や旅行消費額は、近隣アジア各国よりも多くなる」(亀山氏)。
当然、その受け手となる日本の各地域にも、人数だけを集めるのではなく、旅行者の消費額がアップするような取り組み、面白く日帰りではない滞在につながるコンテンツ開発が必要だと考えている。具体的には、「スポーツ、アウトドア、アドベンチャー、スキーなど、趣味や関心に応じたSIT(Special Interest Tour)素材の開発やプロモーションに力を入れている」(亀山氏)。一方、JNTOでは、欧米豪の富裕層の旅行を手配している海外旅行会社との関係構築や、こうした客層が好みそうな情報発信に取り組んでいる。
欧米豪向けキャンペーンを展開するなかで、意外な気づきもあったという。「日本の食や伝統文化に関心が高い客層と、これまでは想定していたのだが、日本に限らず、旅行全般で捉えてみると、アウトドアやリラクゼーションへの要望が非常に大きいことが見えてきた。日本のこうした要素をもっとアピールすることで、新しい市場の掘り起こしにつながるのではと期待している」(亀山氏)。
最大の送客市場である中国についても、冬のスキー需要や、雪を活かしたコンテンツを訴求することで、富裕層が開拓できるとの見方だ。「人数的にも消費額的にも、中国はまだ伸びしろが大きいマーケット。タイミング的にも、ちょうど中国政府が冬季五輪を控えて、国民にスキーやウィンタースポーツを奨励しているところだ。こうした相手国側の機運もうまく活かしながら、盛り上げていきたい」(亀山氏)と話す。
JNTOと地域の連携強化で効率的、効果的なPRを
JNTOが強化すべき課題の一つは、「日本国内の各地域との連携をもっと深めること」だと亀山氏は感じている。近年では、JNTO地域連携部が窓口となり、毎年、全国約10カ所で各エリアのマーケティング研修会を開催している。その狙いは、広域DMOや都道府県の観光担当者とJNTO側の地区担当者が、実際に顔を合わせる機会を増やし、問題解決に向けて連携を深めること。「JNTOは話しづらい」といった声を真摯に受け止め、日常的にコンタクトできる体制を整えることで、お互いに色々な相談事を共有できる環境作りを目指している。
地域側の悩みで多いものの一つは、デジタル・マーケティングに取り組む人材の不足。亀山氏は「実はJNTOでも数年前は同じ悩みを抱えていた」と振り返る。現在では「世界の最先端とまでは言わないが、かなり進歩してきた。そこで我々が試行錯誤しながら学んできたことを、色々な機会に、地域にフィードバックしている」。ウェブサイトとフェイスブック(FB)対応に関する制作・運用ガイドラインも作成、各地の担当者と共有している。
また、JNTO地域連携部が中心となり、地域側の協力を得て、このほど完成したのが「100 Experiences in Japan」。日本全国から厳選したアクティビティを100種類取り上げたもので、冊子とウェブサイトを用意。すでにJNTOの在外事務所を通じてPRを開始しているが、「海外から非常に好評で、作ってよかったと思っている」と顔がほころぶ。
「内容が具体的であること」、「すでに日本を知っている人にとっても新しい内容であること」が高評価の理由だ。海外からは、JNTOに対して、その場所で具体的にどんなアクティビティが楽しめるのか、予約方法など詳細情報はどこで入手できるのか、といった具体的な情報を求める声が多いという。
今回、各地域から集まったアクティビティは計2100本ほど。これをJNTOスタッフや外国人の視点から厳選した。このうち300本ほどは、手を加えなくても、海外向けにPRできる充分な内容だったが、地域性や、文化・自然など内容のバランスを考えて、最終的には100本に絞った。
さらに、選外となってしまったコンテンツ1800本については、JNTOスタッフが各地域に出向き、どうすればインバウンドコンテンツとしてよりよくできるかなどを地域側へフィードバックした。こうしたやり取りを通じて、「JNTOは頼りになる、地域にとって、身近な相談相手なのだと感じていただければ」と亀山氏は話す。
体験するだけで終わっていないか
JNTOから地域側へのアドバイスには、どんな内容が多いのだろうか。
亀山氏によると「やはり外国人向けのコンテンツなので、まず英語、あるいは韓国語や中国語など、ターゲット市場の言葉で情報発信できることが大前提になる。それから予約や決済の方法。ウェブサイト経由で申し込めるのか、クレジットカードは使えるのか。そしてガイドの問題」。
なかでもガイドは、インバウンド需要の拡大に取り組む上で、大切な要素だと亀山氏は指摘する。「そのアクティビティやコンテンツの歴史的な背景なども含め、きっちり説明できる人がいるかどうかは、実際に体験したときの満足度を大きく左右する。外国人でありながら関心があるということは、もしかしたら日本人以上に興味があり、深く知りたいということ。外国語ガイドが足りないなら、説明資料を用意するなど、何かしらの対応が不可欠だ」。
また、観光庁ではインバウンド旅行者対策について、「情報発信はJNTO、各地の旅行素材作りはDMO」という担当領域の大枠を示している。これについては「DMOには、まず提供する観光素材をしっかり整えてほしい、地域観光コンテンツ作りが最優先、その上でプロモーションを行う際にはJNTOと連携した方がよいということだと思う。地域が独自に対外プロモーションをするな、ということではないが、限られた予算が対外PRばかりに投じられ、肝心の中身には投資されない、といった問題が過去にはあったのではないか」(亀山氏)。
各地域がバラバラにPR活動を展開するのは、海外の送客側にとっても、あまり効率的ではない。亀山氏が以前、JNTOにいたころには、海外の旅行関係者から「今日は〇〇県、明日はXX県がセールスコールにくるが、こういうやり方はどうなのか」との苦言を受けたという。特にトレード向けの場合、同じ日本でありながら、地域ごとにバラバラに動くことは、むしろ相手を混乱させかねない。
より効率的、効果的なオール・ジャパンでのPR展開を成功させるためには「我々の側も、JNTOのPR方針や計画について、今まで以上に情報発信する必要がある。そうでないと、地域側は、いつ、どのような形で連携できるのか、見当がつかない」(亀山氏)。
JNTOには、長年の海外向けPRのノウハウがあるので、ぜひ協力してプロモーションを行いたいと亀山氏は話す。地域と共にインバウンド誘致に取り組むなかで、JNTOが受託できる業務があれば、積極的に対応したい考えだ。
将来はデジタルで効果測定も
約3年ぶりに戻ったJNTO本部で、大きな変化を実感するのは、やはりデジタル・マーケティングの分野だ。デジタル・マーケティング室が設置され、外部から経験豊かな人材も確保。「JNTO内で、デジタル・マーケティング・リテラシーが全体的にレベルアップした」(亀山氏)と感じている。アプリが登場し、ウェブサイトではPCよりスマートフォン利用者を意識するようになったのも時代の変化だ。
以前は、JNTOの公式フェイスブックなどSNSに日本側が面白いと思ったコンテンツをどんどん投入していたが、「今はマーケットごとに、どういう内容が相手に刺さるのか、どう購買につなげるかを意識しながら投稿している」(亀山氏)。
投稿を見た人からのエンゲージメントの有無など、利用者の動向を分析し、次はどんな投稿が良いのか、このマーケットは何を求めているのかを考えている。「データを見ながらプロモーション全体を構築する」(亀山氏)など、“デジタルツールを使ったプロモーション”から、デジタル・マーケティングへの移行は着実に進んでいる。SNSやウェブサイトで蓄積していくデータは、デジタル・マーケティング室で分析し、各市場担当にもフィードバックしている。
将来的には「PRやマーケティングだけでなく、プロモーションの効果測定にもデジタルを活用したい。例えば、世界各地で開催される一般向けの旅行イベント。そこで、JNTOの日本ブースに来た人が、その後、実際に日本に来たのか?あるいは、どんな行動をとったのかを把握すること」。消費者がデスティネーションを認知し、旅行サービスの購買に至るまでの流れのなかで、どのプロモーションが、どんな効果を発揮したのか探るのが狙いだ。
亀山氏は「PRの流れ全体がデジタル化するのに伴い、それに対する反応もデジタルで測定できるようになる。いわばデジタルの中でPDCAを回せるようになる」と、デスティネーションPRの未来を見据える。
一方で、数字ではじき出された効果測定の結果を前に、「それをどう判断するべきか、目標数字の設定はどうするか、といった難しさは、以前とあまり変わっていない」とも感じている。デジタル化になじまないマーケティング分野もあるかもしれない。「例えばB2Cでデジタル化できることは増えているが、B2Bは、やはり顔と顔を合わせる方が、今のところは効果的」(同氏)。こうした見極めも今後の課題だ。
オーバーツーリズム解決のカギは地域とデジタル
最後に、世界の観光地で懸念されているオーバーツーリズムについて聞いた。「これは人の数ではなく、管理の問題。大勢の人が、同じ時期、同じ場所に集中してしまわないよう、時期と場所の分散が必要だ」(亀山氏)。
欧州で一般的になりつつある対策は、日時を指定した前売りチケットの販売、あるいは、空いている日時は安くするなど。価格を変動させることで、混雑する時間帯からの分散を誘導することや、ウェブサイトに混雑度合いを掲載して、旅行者が自発的に混雑を避けるように仕向けるといった工夫だ。
ただし、自身がバルセロナで、観光客の一人として経験した使い勝手は、「チケットの指定日時が15分刻みなので、現地の状況に詳しくないと、予定に縛られて窮屈なところはあった。自分のペースで楽しむことができず、旅の自由度が阻害される部分も。こういう時代だから、旅行者が我慢するべきなのかもしれないが」(亀山氏)。
混雑だけでなく、旅行者のマナーなども含め、人によって感じ方に差があることも、オーバーツーリズム問題を複雑にしている。正確な状況の把握は難しい。とはいえ「住んでいる人が、もう観光客は受け入れたくない、という状況はサステナブルではない。最近は“暮らすように旅する”など、住民の生活にもっと入り込みたい、という旅行者側の要望が強いことも、以前より摩擦が増えた一因だろう」と亀山氏は見ている。
もっとも「暮らすような旅は、必ずしも住民にとって悪いことばかりではない」とも指摘する。大規模な投資をしなくても、その地域の暮らし自体が観光資源になり、場合によっては、途絶えかけていた伝統文化が再び脚光を浴び、次世代へと継承されるきっかけになるからだ。
オーバーツーリズム問題の解決に欠かせないのは、住民を含めた地域における合意形成だ。「今の時代の観光において、住民は以前よりずっと重要なステークホルダーだ。自治体やDMOは、観光客が来ることのメリット、例えば税収増や市民への還元などを、住民にきちんと伝える必要がある。それが一定の理解につながる。もし日帰りツアー客が押し寄せるばかりで、何も恩恵がない状況なら、利益を獲得できるような流れにするための方策を、DMOや自治体が考えるべきではないだろうか」(亀山氏)。
今後、デジタル化により、様々な場所の混雑情報を旅行者に提供できるようになれば、人々が行先や時間を変更するようになるかもしれない。
聞き手 トラベルボイス編集部 山岡薫
記事 谷山明子