コロナ禍を乗り越える温泉旅館の挑戦、休館中の新たな取り組みから営業再開への思いまで経営者に聞いた

観光産業を未曽有の危機に陥れている新型コロナウイルス。神奈川県・箱根エリアの旅館「和心亭豊月」も、その影響を受けた宿泊施設のひとつだ。緊急事態宣言発令の直前から営業再開まで、1か月半以上の休館を余儀なくされた。4月の売上は、前年比95%減。5月も再開後は90~95%減となる見込みだ。

事態収束の見通しがつかないなか、休館という営業機会の損失が続く日々で、旅館の経営者は何を思い、何をして過ごしていたのか。創業66年の歴史をもつ同館3代目、専務取締役の杉山慎吾氏に、営業再開までの道のりと新たに開始した取り組みを聞いてきた。

3日間の休館予定がそのまま長期休館へ

和心亭豊月は、箱根の名所・芦ノ湖や二子山を望む高台に建つ、全15室の小規模な温泉旅館。静かな立地やゆったりとした温泉、モダン懐石などの料理はもとより、顧客満足の追求を徹底するおもてなしで支持を獲得し、宿泊客の4割をリピーターが占めている。

その同館にコロナの影響が出始めたのは、1月下旬から2月頃。もともと外国人比率は年間2%程度のため、訪日客の減少による影響はあまり受けなかったが、日本人からの予約にも少しずつ影響が表れるようになった。感染者が拡大し、外出自粛の動きが強まった3月には、売上は約30%減に。杉山氏は「これでも良い方だと思うが、本来3月は年間通して2番目か3番目に稼働がよい月のはず」と、稼ぎ時を襲ったコロナの影響の大きさを説明する。

同館では、自粛の機運や緊急事態宣言の可能性が高まってきたことを受け、徐々に営業体制を縮小。4月6日から3日間程度の休館を決めていたところ、4月8日に緊急事態宣言が発効となり、そのまま休館期間に突入した。

神奈川県では旅館ホテルは自粛要請の対象ではなかったが、杉山氏は「本来、旅は楽しいもの。日本全国が外出自粛に取り組んでいる時には難しい」と、苦渋の思いで決断。過去にも、東日本大震災や箱根では大涌谷の噴火などの危機があったが、今回ほどのインパクトではなかったという。

和心亭豊月 専務取締役の杉山慎吾氏。取材はリモートで行なった。

「宿の魅力=社員」を守る

休館となり、まず行なったのは社員の一時帰休。同館は社員率が9割と高いが、約20人の社員に対し、「1日1人出社するかしないか」の人数を除いて、基本的に休業を指示した。休業補償の支給率の判断は「難しいところだった」と悩んだが、杉山氏は「設備に依存しない旅館力(おもてなし、人によるサービスの質)を強化している当館にとって、一番の商品は社員」と、100%支給を決めた。

そして、休業時だからこそできることに取り組んだ。

そのひとつは、館内の清掃から施設の改修だ。旅館の配管やボイラーは絶妙の圧力で稼働しているため、一度止めてしまうと不具合が生じることが多く、この補修も休館中の作業に加わった。これ以外にも、屋根の塗り替えや防音工事、床の張替えなどのほか、一時帰休中の社員から座椅子の塗り替えの申し出が自発的に上がり、手作業で行なった。

杉山氏は「宿泊客がいない期間を機会と捉え、今後のために今しかできないことと判断した。計画になかったことだが、充実した時間を過ごせた」と前向きに捉えている。

座椅子の塗り替えは社員が自発的に、一つ一つ手作業で実施。

さらに、同館としては初めてのグループウェアを導入した。杉山氏は、休業に入る前の焦りを明かす。それは、社員と毎日会えなくなるということだ。「人が商品そのもの」と社員の力を重視する同館にとって、社員と顔をあわせることは、何よりも重要なことなのだ。会えなくなった時のコミュニケーション、会社からの情報伝達をどうするか。そこで、杉山氏は急遽、LINEの兄弟会社が提供するグループウェア「LINE WORKS(ラインワークス)」の導入を決めた。

グループウェアの活用で見えた新しい可能性

導入のきっかけはコロナの影響による休館だが、杉山氏は「コロナのためだけに入れる意味はない」と、本来の目的があることを強調する。実は杉山氏は、3年ほど前からグループウェアの導入を検討していた。シフト勤務の多い旅館は、特に同館のような小規模施設の場合、社員全員が出席する会議の時間が取れないという悩みを抱えている。その代替案の1つとしてグループウェアに注目し、複数の製品の試行もしていたのだ。

杉山氏は、おもてなしに欠かせない日々の業務の引継ぎや顧客管理に関しては現行の体制に自信があるが、それ以外の企業理念の浸透から社内意識の醸成など、情報共有とコミュニケーションができる環境が必要だと考えていた。経営会議で決定した伝達事項から、行動指針、業務フロー、作業手順などオペレーションのベースとなる情報まで蓄積し、誰もが必要な時に確認して共通認識を図ることができる、そんなプラットフォームとしての活用を描いていた。

導入したLINE WORKSは、このニーズを満たす情報の蓄積・共有が可能。また、日常使いで馴染みのあるLINEがベースのため、社員にとってハードルが低く、操作面で利用しやすかった。杉山氏は「仕事とプライベートを分けてあげたい」と端末貸与も視野に入れていたが、社員の「スマホの2台持ちなんて面倒なことはしたくない」との率直な意見もあり、「すぐに導入できるサービスとして、一番あっている」と判断した。

LINEのような使用感で、法人向けセキュリティを備える。写真はスマホ画面のイメージ。

導入から約2か月、グループウェア上のトークは活発で、社員からは「これがあってよかった」との声が多い。杉山氏は「ステイホームで社員のストレスが溜まっている状態の中で、会っているかのようなコミュニケーションができたことはプラスだった」と、休館中の社内でチーム維持の役割も果たし、ポジティブに受け入れられた効果を話す。

社員の気持ちを高められたなかで、新たな事業も始まった。それはネット通販。休館は、売店で販売する菓子やバスアメニティなどオリジナル商品の在庫にも影響するため、フードロス削減の観点から急遽、ネットショップ作成サービス「BASE」での販売を開始した。この仕組みは以前から準備を進めていたものであったが、コミュニケーションが維持されていたからこそ、休業中でも業務を引継ぎながら構築することができた。杉山氏は「コロナ後にも必ず残るものを、この状況で始めることができた」と自信を深めている。

また、本来の目的である情報プラットフォームとしての活用でも、「(この情報を)LINE WORKSで共有して」というコミュニケーションが当り前になった。「通常営業時の多忙なオペレーション下ではすぐに対応できなかったと思う。休業期間に始められたのは下地を作る良い機会になった」と杉山氏。今後は、日々の業務効率の改善や、他企業の旅館向けBIツールとつなぐハブとしての利用など、LINE WORKSの機能を活用する新たな可能性も視野に入れているという。

LINE WORKS のPC画面イメージ。現場の業務用コミュニケーションツールとして活用が広まっているという。

自分で選んだ職業・産業だから

5月下旬から営業再開を決めたのは、予約の問い合わせ状況を踏まえたもの。同館では毎年5月と6月に特別プランを設定しており、贔屓にしていた顧客を中心に、ゴールデンウィーク明けごろから営業再開を求める問い合わせが入るようになった。「食事は料亭の個室を利用するなど、館内に3密にならない環境があるのを知っているリピーターが多いこともあると思う」と杉山氏。もちろん、「感染防止対策が大前提。休館中はその準備もしてきた」と、しっかり対策を施して臨むという。

ただし、再開しても稼働は1日数組程度の見込み。休業によって体力が落ちたことを不安に感じている社員が多いなか、今後は感染防止策の作業が増える上、着物とマスク着用でのオペレーションとなるため、「熱中症などの注意も必要になる。ソフトオープン的に行なう」との考えだ。

和心亭豊月の館内には、ウサギの置物など「月」にちなんだ調度品が飾られている

当面は新しい生活様式で生まれる新しいニーズに応えながらのオペレーションという、新たな挑戦が試される。引き続き苦難は続くが、杉山氏は「つらい時期だったが、一緒に乗り越えた仲間がいることは、大きな意味がある。この機会があったことで絆は確実に強くなれた」と前を向く。

「当館より長い歴史を持つ旅館はたくさんあるが、明治維新や太平洋戦争など今より大変なことを乗り越えてきた。時代にあわせ、客のニーズを探し、商品を磨く。この積み重ねで今がある」。

そう話しながら杉山氏は、「自分たちでこの職業・産業を選んだ」と力を込めた。「この産業は水商売で、何が起こるかわからない。それを誰かのせいにしているうちは、つまらない商売しかできない」。

杉山氏は、これを社員にも伝え、理解してくれたと実感している。もともと信頼の下地はあったが、この危機にコミュニケーションを密にして乗り越えることで、そういうことが言い合える関係性になれたと確信している。

取材協力:ワークスモバイルジャパン株式会社(LINE WORKS)

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