全国旅行支援の開始で宿泊施設に起きた混乱、その影響と次の打ち手を、ホテル流通のエキスパートに聞いてみた

全国旅行支援の開始後、想定を超える需要の反動でホテルや旅館の現場には大きな混乱が起きた。コロナ禍で疲弊した観光産業と地域経済のカンフル剤として施行された政府の施策であり、観光産業と地域の事業者にとっても、今後の事業継続に不可欠の施策だが、なぜ、このような状況となったのか。

ホテルウィングインターナショナルチェーンを運営するミナシア代表取締役社長の下嶋一義氏に、宿泊施設の予約・販売管理システム最大手で発生したシステムダウンによる影響、宿泊施設の現場でいま起きていることとその対応、今後の展望を聞いてみた。

下嶋氏はホテルをはじめ、国内外の大手OTAやレピュテーションマネジメントサービスの要職を歴任し、ホテル流通テックの仕組みから現場のオペレーションまで精通している。

現場の混乱とは? 何が起こっていたのか

宿泊施設の予約・販売管理システムとは、ホテルの基幹システム(PMS)とOTAや旅行会社などの販売先をつなぎ、客室の在庫や販売価格、予約情報を一元管理するシステムのこと。複数の販売先に客室在庫を共通管理できるようにしたもので、即時販売を行うオンライン予約には不可欠な管理システムだ。

今回、全国旅行支援の開始後にダウンした「TLリンカーン」を使用する宿泊施設は、国内最大規模の約5100施設。このすべての宿泊施設が、全国旅行支援が開始となった2022年10月11日から、「TLリンカーン」での客室在庫の管理ができなくなった。この影響は大きく、混乱は10月16日に基礎機能の復旧が完了するまでがピークだった。

ミナシア社の場合、運営するホテル39施設のうち、4施設が「TLリンカーン」を使用している。下嶋氏によると、「一番の問題は、客室の在庫状況が連動できないため、販売先のOTAでの客室販売が止まらない状況になった」。自社の持つ在庫の数を超えて、予約をとってしまう重複予約(いわゆるダブルブッキング)も発生した。そこで、いったんPMSとの連動を切り、多くの販売先で1週間ほど、売り止めにする措置をおこなった。

これにより、「全国旅行支援で稼働が高まると期待していたのに、逆に1週間、機会損失になってしまった」と下嶋氏。売り止めした期間は、客室の販売ができない。ミナシア社では、少しでも販売機会のロスを減らせるように販売先を主要OTAなどに限定。スタッフがシステムに頼らずに手動で回せる範囲で販売を継続していたが、それでも1日あたり10室程度の販売を失ったとみている。下嶋氏は「1週間、売り止めをするような経験は過去になかった。損失は大きい」と話す。

さらに、各販売先に入った予約がPMSに連動されなかったため、ホテルのスタッフがPMSに予約記録を1つ1つ手入力する作業が発生。ホテルによっては、1000件近い入力が必要になった。また、ダブルブッキングが発生した予約者に連絡して予約を取り直したり、連絡が取れないまま来館した予約者にお詫びと別ホテルへ案内などの対応が必要になった。

こうした状態に追い打ちをかけたのが、宿泊施設への直接予約や問い合わせが急増したことだ。

ミナシア以外の宿泊施設でもTLリンカーン経由の販売を売り止めにした施設は多く、一時期、各OTAから予約可能な客室が消えることになった。それに加えて、全国旅行支援の開始によるアクセス集中で大手OTAのサイトも不安定に。これらに対する予約希望者からの問い合わせ対応も発生した。様々な要因が絡み合い、そのしわ寄せは現場スタッフに集中することになったという。

ミナシア代表取締役社長の下嶋一義氏

売上・利益の効果大、継続は現場の負荷が少なくなる設計で

全国旅行支援の効果について下嶋氏は、「売上げの見通しは一気に改善した。最初の1週間で予約件数では4、5倍、売上げでは10%積み増しできた」と、大きな効果を感じている。しかし、「これをいつまで続けられるか。従業員の疲弊度を見れば、このままの仕組みで続けるのは難しいのではないかと感じている」と続ける。

全国旅行支援は、チェックイン時にワクチン接種証明書の確認や地域クーポンの発行が必要で、「対応時間は単純に倍増した」と下嶋氏。「残業が増えるどころか、現場は休めない。かなり厳しい状況になっている」と説明する。

同社では全国旅行支援にあわせ、販売促進への新施策も予定していたが、今期のローンチはやめ、従業員を守る方向にシフトした。「今は、全国旅行支援対応に専念する。ある程度、売上・利益を正常化し、新施策は来年以降に延期して、そこから将来に対する投資をするのが最善策だと判断した」という。

全国旅行支援は、来年の継続も検討がなされている。下嶋氏は「観光だけではなく、地域のレストランや土産店など幅広く効果が行き渡るので、日本全体の経済を考慮してもプラスだと思う」としたうえで、「現場に負担がかからない仕組みで導入していただくのが大切」と強調した。

その改善策として、「デジタルで解決できることはたくさんある」と下嶋氏。例えば、地域クーポン1つとっても、デジタル化して旅行者自身が発行できるようになれば、フロントの負荷が大きく減ることになる。しかし、デジタルでの解決策を実現するには「全国旅行支援の“総合プロデューサー”が必要」だと下嶋氏は考える。

また、これまでの取り組みからも「ヒントが得られる」と下嶋氏はいう。例えば、全国的な開始日から遅れた東京都。その開始時には再び、OTAや在庫管理システムの障害が生じるのではないかと危惧されたが、スムーズなスタートを切ることができた。各種の準備で東京都の全国旅行支援の販売が、結果的に10月20日より遅れたOTAもある。これを受けて下嶋氏は、「予約の期間やチャネルを分けるなど、徐々にアクセス数を増やして集中させない方法は考えられる」と話した。

宿泊施設はDXを

TLリンカーンを運営するシーナッツ社は、今回のシステムダウンの理由に「トラフィックの急増」をあげている。これについて下嶋氏も「納得」と話す。

「まさかOTAまでダウンするなど、ここまでの事態になるとは誰も思わなかったと思う。予想を上回り、OTAが受けきれないほどの需要があった。それを各方面から多く集約したのがTLリンカーンなのだから、ダウンしておかしくない」という感想だ。

2020年にも需要喚起策のGoToトラベルがあったが、これほどの混乱はなかった。その違いとして、「コロナに対する知識や自信が当時と今では違う。多くの人が旅行に出かける勇気が出て、それが全国一斉の開始で需要が集中した」と指摘。一方で、制度設計を都道府県に任せたことで複雑化したことについては、「(全国一律だった)GoToのほうがわかりやすかった」と率直に語った。

こうして生じる業務の負荷を、現在、宿泊施設の現場が背負っている。人手不足のなかで宿泊業を志した貴重な戦力が、いつか心が折れてしまうのではないかと心配になる。宿泊施設が自衛できることは何かあるだろうか。

下嶋氏は、今回のケースでは、「本社でのサポート体制を強化して現場の負荷を減らすなど、限られる」としながらも、宿泊施設が根本的に取り組むべきこととして、デジタル化し、基本的な業務の効率化を推進する必要性を訴えた。

「宿泊業界には、おもてなしをして喜ばれる仕事を志望して入ってくる人が多いが、今は作業に追われて本来の業務ができていない。チェックインや予約確認などルーティーン業務は自動化してサービスのDXを進め、人は人がすべき領域に注力する。差別化できるのは人が提供する部分でしかない」とその意義を強調。効率化が従業員の意欲を守り、企業の利益を上げ、業界全体のステータスを上げることにもつながると話す。

料金はまだコロナ以前に戻っていない

最後に、全国旅行支援の開始に伴い報道されている、宿泊料金の「便乗値上げ」についても聞いてみた。下嶋氏は「便乗値上げというよりも、(コロナ以前の)2019年当時の価格に戻したというのが強い」との考えを示した。

コロナで客足が止まった時期に、大幅な値下げをしたホテルがあって、マーケット全体の値段が下がった。しかし、当時と今は状況が異なる。下嶋氏は、「ラックレート(正規料金)以上の値上げは便乗値上げだと思う。しかし、ある程度、需要の強かった頃に値段を戻しているのは、その対価をいただいているのだと思う」と話す。

下嶋氏のホテルでも、稼働はある程度戻ってきているものの、料金は2019年レベルには届いておらず、「ADR(平均客室単価)では70~80%程度。当時はインバウンドがかなり入っていたので、需要がかなり強かった。足りないのはその分」と話した。

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