若き社会起業家が挑む観光客のマナー問題、旅行者の行動変える「ツーリストシップ」、その活動と誕生の背景、目指す未来を聞いてきた

「ツーリストシップ」という言葉は、田中千恵子さんが京都大学在学中に「スポーツマンシップ」をヒントに生み出したものだ。その定義は「旅先に配慮したり、貢献しながら、交流を楽しむ姿勢やその行動」。オーバーツーリズムが地域にさまざまなハレーションを引き起こしているなか、旅行者の心構えを広め、行動変容を促す活動を展開している。田中さんの問題意識の原点とは? これまでの道のりと、ツーリストシップで実現したい旅行の姿、目指す未来を聞いてきた。

「1人1人が旅先に寄り添っていけるような旅行は作れる」

田中さんは2019年、大学3回生のとき、京都新聞でたまたま「観光公害」という記事に目を留めた。「その時初めて、観光客と住民の関係性が必ずしもいいものではないことを知りました」と振り返る。京都市では、インバウンドの増加などで、住民と観光客との軋轢が顕在化し、市の観光政策として「量より質」への転換が進められているときだ。

「私自身、旅行は好きだったので、(旅先では)単純にもてなされていると思っていましたが、実は自分が楽しいと思ってる趣味に対して不快に思っている人がいる。あるいは負荷さえかけてしまってることに、ハッとしました」。

大学では、アジアの財閥という資本主義ど真ん中のテーマを勉強していたが、「旅行者として、もっと、『旅行の仕方』というものがないといけないのではないか」という問題意識を持ったという。

そこから、田中さんの行動は早かった。

実態を知りたいと、自ら住民の話を聞きに行った。田中さんは「旅行者は京都が好きで来ていて、地域を傷つけたくて来ているのではないのです」と言っても、なかなか住民にはその意味が伝わらない。しかし、対話を続けていく中で、住民も旅行者となるシーンがあることに視点を移し、旅行時の体験談などを共有しながら、どこまでが許され、どこまでが許せないかを考えるようになると、健全な議論になっていったという。

一方、田中さんは人気観光地で旅行者の声も拾っていった。そのなかでは、地域へのリスペクトが伝わっていないと感じたという。「私自身そうですが、知らないでやってしまい、結果的に地域に迷惑をかけていることがたくさんあります」。

旅行者は住民であり、住民は旅行者にもなる。住民は、自分も旅行者であることを思い出すと、旅行者に寛容になりうる。旅行者は、自分の地元を思い出しながら旅をすると、地域へのリスペクトが生まれる。物理的でなくても、気持ち的に顔が見える関係性はお互いに安心感と信頼感を生む。

田中さんは、コロナ禍の間、旅行が途絶える中、在日大使館と連携して、京都への訪問を感謝する「恩返しプロジェクト」を始めた。観光事業者からの感謝の手紙を渡す取り組みから始めたが、住民の参加も次第に増えていったという。

また、旅行者が地域へのリスペクトを示す「京くみひもブレスレット」を制作し配布する活動も始めた。京都市が「京都観光モラル」を策定する前のことだ。

田中さんは、フィールドワーク的な活動を続けていくなかで、「現場で、1人1人が、旅先に寄り添っていけるような旅行を当たり前にしていく精神や姿勢は作っていけるのではないかと、すごく感じました」と振り返り、旅行者と地域との関係性を考える時、「住民よりも、まず旅行者を耕していく方がいいのではないかと考えるようになりました」と明かした。

「ソフトの力で旅行の認識を変えていきたい」と田中さん「ツーリストシップ」誕生の背景とは

「ツーリストシップ」という言葉は、旅行者との対話の中から着想した。

サステナブルツーリズムやレスポンシブルツーリズムなどと言っても、旅行者の反応は鈍い。「もっとカジュアルで、ポジティブな影響を与えるような言葉はないかと考えた時、馴染み深いスポーツマンシップやリーダーシップから思いつきました」と明かす。「ツーリストシップ」と声に出してみると、住民にも旅行者にも反応が良かった。

田中さんは、2019年10月に一般社団法人CHIE-NO-WAをまず立ち上げる。大学生らしい使命感によるボランティア活動としてではなく、マイナースポーツのアスリートのように、自らスポンサー企業を探した。知り合いを通じて、ダイドードリンコの本社をノックすると、ツーリストシップの活動を「面白がってもらい」(田中さん)、スポンサー契約を取り付けることに成功した。その後、もう一社加わることになる。

2021年1月頃から本格的に「ツーリストシップ」の発信を始めたが、まずは観光事業者に知ってもらおうと、ホテルや旅館、大手旅行会社、航空会社などにコンタクトを取り始めたが、「最初は窓口レベルなので、全然相手にしてもらえないところも多くて…」と笑う。

それでも、コロナから旅行需要が急速に回復し、新しい観光のあり方の議論が世界中で進むなかで、「ツーリストシップ」に関心を示す観光関係者も増えた。2022年末に、法人名を「ツーリストシップ」に改名した時には、元観光庁長官の井手憲文氏などをはじめ有識者が理事に名を連ねた。

同時に、田中さんの活動に共感するボランティアも集まり、「ツーリストシップ」はさまざまな人たちを巻き込む運動へ広がりを見せるようになってきた。

旅先クイズ会で共感醸成、「生」の声も貴重なデータに

「ツーリストシップ」普及の核となっているのが「旅先クイズ会」だ。「旅行の仕方を伝えるには、旅行者や住民と直接触れ合えるブースのようなものを出したらいいのでは」と始めた。旅先クイズ会とは、旅行者に、〇×クイズを通して、地域ごとの歴史やマナー、ツーリストシップを楽しく発信するイベント。2023年から京都の祇園と嵐山で始めた。

クイズの出題は場所によって異なる。例えば、京都錦市場の場合、「錦市場商店街にはゴミ箱がある。〇か×か?」「錦市場商店街では、食べ歩きを楽しむことができるか。〇か×か?」。それぞれの質問に答えてもらい、正解とともに気をつけることを伝える。そして、最後に「ツーリストシップ」の意義を伝える。

1回5分ほどの他愛のない質問だが、田中さんは「その場で言われたら、旅行者は忘れない。また、特定の情報に意識を向けると、その情報が目に入れやすくなるカラーバス効果もあります」と手応えを示す。

現場を見た自治体関係者からは、旅行マナーや地域との関係で「旅行者の可能性を感じる」との声も聞かれ、旅先クイズ会は一気に全国に広がった。現在では、北海道知床から、東京都豊島区、京都市内各所、奈良市、滋賀県大津市、広島市、大分県由布市、沖縄県石垣まで広がった。両国や東京スカイツリーなどの観光地を抱え、民泊施設も多い東京都墨田区では、毎月定期開催するほどになった。

参加者にとっても、ついでにブースに立ち寄るだけで参加できるため、ハードルは低い。2024年12月中旬時点で、延べ1万9000人ほどが参加した。参加者は幼児から高齢者まで、家族連れからカップル、学生まで、加えてインバウンド旅行者も興味を示すという。

旅先クイズ会は、基本的にツーリストシップの自主開催と墨田区のように観光協会とのライセンス契約で行う会の2通り。開催の割合は現在のところ半々だという。また、スタッフ派遣を含めた依頼だと、また別の料金体系を立てている。

墨田区で行われた「旅先クイズ会」。インバウンドの関心も高いブースでは、ツーリストシップの普及に加えて、参加者からさまざまな「生」の声が集められるのも大きな利点だ。田中さんは、「共感の後なので、『これはよくないと思う』とか、『これはいいと思う』など、普通のインタビューでは聞けないような内容までしっかり聞けます」と話す。1時間で100件ほどの意見がすぐに集まるという。

ツーリストシップでは、この「生」データをまとめて、自治体を含めて観光関連団体と共有する取り組みも始めている。場所によって、旅行者層も異なるため、同じ質問でも賛同率がどれだけ異なるのか、あるいは同じなのか。「面白いデータになると思います」と期待をかける。

旅先クイズ会には、旅行者だけでなく、地域の人たちも参加することがある。田中さんよると、「墨田区などでは、地域の観光に対する機運醸成にもながることも評価されている」ようだ。

旅行者と地域住民が一緒に参加することで生まれる「顔が見える」関係は安心感を生む。田中さんは「オーバーツーリズムの課題は、結局のところ、認識感情。観光客と地域住民の不信感や不安感を取り除くこがとても大事だと思います」と強調する。

ツーリストシップでは、旅先クイズ会に加えて、修学旅行生向けにも旅行者として持続可能な観光について考えるプログラムを提供している。小学生から高校生までレベルに応じて内容を変えて、具体的に考え、次の行動につながるような取り組みをすめている。

「2030年頃には世界に広げていきたい」

田中さんは、2023年8月12日の国際青少年デーにイギリスのDTTT社から、その社会起業家としての活動が評価され、世界の若者9人に選ばれた。観光による持続可能な地域づくりが目指されている中、旅行者のマナー問題は世界的な課題。ツーリストシップでは、カナダ・ビクトリア市やハワイ州観光局とも意見交換を続けているという。「来年の万博までは国内でツーリストシップを定着させて、2030年頃には世界に広げていきたい」と田中さん。

観光庁が新たな作成した「未来のための旅のエチケット」では、初めて「Touristship for all Travelers」という文言が使われた。

2024年ほど、世界的にオーバーツーリズム対策が耳目を集めた年はなかったかもしれない。日本では、コンビニ越し見える富士山の撮影による迷惑行為を防止のために黒幕が貼られたのは世界的なニュースになった。混雑回避の一つの手段として「手ぶら観光」のデジタルソリューションがさまざまな事業者からリリースされている。観光地の渋滞緩和としてパーク&ライドの実証も各地で行われている。

「私たちは、ハードではなく、ソフトだけに特化して旅行者の認識を変えていきたい。感情の選択肢を提案することで、旅行者と地域住民が交流してけるような魅力的な観光にしていきたい」と田中さん。ツーリストシップという言葉にその思いが凝縮されている。

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