日本旅館協会は、先ごろ「第50回 国際ホテル・レストラン・ショー(ホテレス・ジャパン2022)」で、旅館の持続化計画とSDGsをテーマにセミナーを開催した。基調講演では、長野県松本市の扉温泉「明神館」代表取締役の齊藤忠政氏(扉ホールディングス代表取締役)が、同館を基盤に20年続けてきた「地域と共に生きる」取り組みを説明した。
現在では「持続可能(サステナブル)」が、観光にかかわる事業者や地域の振興で不可欠なキーワードだが、同館が本格的に取り組みを始めた2003年の頃は現在ほど注目されていなかった。齊藤氏はこの20年、どのように歩み、同館と地域はどのように変化したのか。「地域をデザインするのは、観光業がベスト」と話す齊藤氏の講演(2022年2月17日実施)をまとめた。※画像は明神館サイトより
地域や環境との向き合い方
扉温泉「明神館」は、八ヶ岳中信高原国定公園の標高1050メートル地点に建つ一軒宿だ。1931年、家族経営の小さな宿として開業したが、今では扉グループとして同館のほか、自社農園、文化財や歴史的建造物を活用したホテルとレストラン、古民家事業(ゲストハウス)などを手掛けるまでに成長した。「地域のモノ・コトを発信する」「信州と世界をつなぐ」「エコロジーをスマートに伝える」「地球環境・文化・健康を大切にすること」を重視して、事業経営に取り組んできたという。
斎藤氏がエコロジカルな宿づくりを目指したのは、家業に戻った20年前。「その頃はエコロジーと言っても、誰も響かなかった」(齊藤氏)。しかし、その時々の流行を追ってハードをリノベーションする従来の宿泊業界のやり方では、「投資を回収できない。トレンドに流されないで永遠にできるものは何か」(齊藤氏)と考えた。そこで思い至ったのが「エコロジー」と「健康」だった。
エコロジーと健康の推進で齊藤氏が重視したのが、エビデンスだ。「ホスピタリティ産業は裏付けがない商売なので、エビデンスを取れるような商品を大切にした」(齊藤氏)。例えば、地域の食材と伝統料理をいかした健康的なオリジナルメニューを提供するためにマクロビオティックアドバイザーを取得したほか、宿泊施設の国際的な環境認証「グリーンキー」の取得や、厳格な審査をクリアしたホテル・レストランによる世界的組織「ルレ・エ・シャトー」への加盟がある。
このうち、グリーンキーの認証取得は、「我々は素人なので、このプログラムをもとに宿を運営しようとした。エコロジーであることの認証と、どんなスキームで運営しているのかを示したかった」(齊藤氏)と説明。
ルレ・エ・シャトーの加盟は、「日本の文化がわかる旅館は貴重な施設。世界に広めたい」(齊藤氏)という動機だった。ただし、ブランド戦略だけではなく、同組織が地域の歴史や文化、環境への理解と共存、地域の生活や住民の尊重などを価値とし、それを守るためのビジョン(誓約)を設定していることも重視。その内容は「その土地の小さな生産者を大事にする」「環境に配慮した経営」「過剰生産や資源の枯渇を避ける」などで、同館はこのビジョンにコミットし、活動指針としてきたという。
同館では2009年には電気自動車での来館者には割引を提供するなど、エコロジーやサステナブル、マクロビオティックを押し出したプランを販売した。しかし当時は「日本人は休暇を多く取れないので、旅行の時くらいは贅沢をしたいのが本音。エコを謳っても、送客実績につながらない」(齊藤氏)という状況が続いた。
それでも、取り組みを続けた理由には、同館が自然災害を受けた当事者になった経験があるから。2006年には鉄砲水、2016年には大雪による倒木で同館が孤立した出来事があった。「環境の変化で一番不利になるのは、山地にある我々のような施設。このままではまずい」(齊藤氏)との思いが強くあったという。
観光の経済に地域社会を入れる
街中で展開するレストラン「ヒカリヤ」では、生産農家の協力のもとシェフによる食育をするなど、地域に貢献できる取り組みも開始。2018年には松本市の里山地域の古民家を活用したゲストハウス事業を立ち上げ、地域と一緒にブランディングをする里山再生プロジェクトも開始した。
齊藤氏は、地域と関わる観光や街づくりを進める理由を、「観光客はその地域が輝き、豊かで楽しそうに暮らしているから訪れる。それならば、地域を楽しく住み続けられるようにする必要がある」と話す。しかし、地域の人間関係に入り込むことは、老舗旅館に生まれた齊藤氏でも「難しい」と言い、それには「時間をかけながら信頼を得ていく必要がある。少子高齢化や荒廃農地などの地域課題に寄り添い、経済を回していくことが必要」と話す。
そのために齊藤氏が取り組むのが、「“三方よし”の形で、観光の経済の中に地域社会を入れていくこと」。宿泊客が代金を支払い、宿泊施設がサービスを提供するなかで、地域に循環する仕組みを作る。古民家の周囲の畑で耕作する地元の人から、朝採れの野菜を仕入れたり、時間がある人に部屋のクリーニングをしてもらうなど、「半径500メートル以内にお金が落ちるようにする」(齊藤氏)。
コロナ以前は、利益の2、3%を町内会に渡すことも考えていた。「古民家の収益で地域の経済が回り、潤うなら良いのでは。我々は地域にどっぷり浸かって商売をさせてもらっている。地域の課題は、数万円でも改善できることが多い」(齊藤氏)と話す。
齊藤氏は、地域に経済を回す旗振り役は「観光業がベスト」だと話す。「産業のすそ野が広く、地域の人や資源をフル活用している。これらを加工して外の地域につなげ、交流・関係人口を増やすことができる産業だ。だからこそ、観光業が地域をデザインするのが適している」(齊藤氏)との考えを示した。
こうした取り組みで、地域観光でどのようなことが起きるのか。例えば同社ではウェルネスツーリズムで自転車のツーリングを提供しており、そこで地域や集落の現状をありのまま見せている。「県外から来る人は改めて、田舎の姿に驚く。良い面も悪い面も、地域の課題をお客様と共有できる。これが我々にできること」と齊藤氏。次第に観光客からは、「あの古民家は購入できるのか」「この荒廃農地は有効活用できないか」などの話がリアルに出てくるという。
日本の事情にあったSDGsの推進を
今回のセミナーの大テーマは「宿泊業におけるSDGsについて」。齊藤氏はこれまでの取り組みを通し、SDGsの17の目標のうち7項目に取り組んでいることを説明し、「地域とともに生きることが、SDGsに大きく貢献することになる」との考えを示した。
例えば、同館が取り組む自然環境の保全・整備は、SDGsの「13 気候変動に具体的な対策を」と「15 陸の豊かさも守ろう」に、里山再生プロジェクトは「11 住み続けられる街づくりを」などに当てはまるという。
SDGsの誕生以前から、持続可能な取り組みに注力してきた同館だが、齊藤氏は「SDGsで目指すゴールは素晴らしい」としながらも、「日本の事情に落とし込みながら取り組まないと、無駄足になる」と警鐘も鳴らした。日本はとかく欧米の事例や志向に追随しがちだが、例えば、エコなモビリティとして期待される電気自動車を日本で運転する場合、日本国内の発電の約7割を火力発電が占め、CO2の発生を伴うので、欧州の事情とは異なると指摘する。SDGsを推進する際は、欧米で推奨されることが「日本でも道理が通るものか、考えるべき」と進言した。